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2004年12月 アーカイブ

2004年12月02日

【2】 自宅 → 成田 → ロンドン → リスボン

 ※ この日(12月2日)は、日本からポルトガルまで移動しただけで、観光はしていません。観光初日から読みたいかたは、12月3日からお読みください。

 12月2日、木曜。自宅で6:00に起床した■■と●●。
 これまでに、2人いっしょに行った国は9カ国。

  2001年 8月…ドイツ・スイス
  2002年 5月…韓国
  2002年 7月…ノルウェー・スウェーデン・デンマーク
  2002年10月…チェコ・オーストリア・スロバキア
  2002年11月…韓国

 そしてこの日、2人は記念すべき10カ国目へと旅立ちます。
 その国は、ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガル
 ポルトガルを選んだ理由はいろいろありますが、大きな理由は次の2つです。
 (1)■■と●●は、ヨーロッパが大好き。
 (2)12月でもそこそこ温暖なところがいい。

 ※参考ページ…ポルトガルの地図

 10:30、成田空港第1ターミナルに到着。G5カウンターで、バウチャーを航空券に引き換えてからBカウンターへ行き、スーツケースを預けました。今回、スーツケースは2人で1つ。この旅行では、出発時のスーツケースの中身を極力減らしました。サムソナイトのLサイズで、かなりの荷物がつめこめますが、現在はまだ半分空洞。

 身軽になったあと、日本円をユーロに両替しに行きました。現在ユーロが高騰しており、いちばんレートがよかった三井住友銀行で両替しましたが、29,605円 → 210ユーロでした(sellingのレート: 140.98円 → 1ユーロ:手数料込)。

 航空会社は、最も価格が安かったブリティッシュエアウェイズを利用。日本からポルトガルへは直行便がないので、ロンドン経由でリスボンへ向かいます。フライトスケジュールは、以下のとおり。

  BA8 成田12:45発 → ロンドン16:20着
  BA504 ロンドン17:55発 → リスボン20:30着

ブリティッシュエアウェイズ・チケット
↑ブリティッシュエアウェイズの搭乗券。

 12:45成田発の予定でしたが、実際に離陸したのは13:24。
 座席は38のFとGで、3-4-3でいうところの中央右側の位置。

  □□□ □□■■ □□□

 うしろに座席がなく、気兼ねなくシートが倒せるので、よい席でした。周りは日本人ツアー客が多かったです。
 出発して1時間ほどで昼食に。■■はタイチキンカレー、●●はシーフードテリヤキ(中華丼のようなもの)を食べました。ビールは、LONDON PRIDE(エール)、STELLA ARTOIS(ラガー)、Grolsch(オランダのピルスナー)の3種類。ワインは、HARDYS(オーストラリアの赤ワイン)など。
 機内の映画は、『ハリーポッター アズカバンの囚人』と、『スパイダーマン2』が放映されていました。エコノミーでも、個人用モニターが完備されています。
 そして、ブリティッシュの客室乗務員はみなフレンドリーで、楽しい空の旅になりました。

ロンドン・ヒースロー空港 LONDON Heathrow

霧の都のエアポート

 16:15、ロンドン・ヒースロー空港着。雨は降っていませんでしたが、滑走路は濡れていました。日本人ツアー客は、イギリス観光目的の団体が多かったようです。

 ■■と●●は、ターミナル1の17番ゲートからリスボン行きのBA504便に乗り継ぎ、17:55出発。

ブリティッシュエアウェイズ・リスボン行き機内
↑ロンドンからリスボンへのBA内。乗客数は、座席の4割程度でした。

 機内食のピザトーストは、美味でした。しかし、リスボンが近づくにつれて、■■の心の中に、何とも言えない不安感が沸いてきました。今までの旅行と違い、あまりがっちりとしたプランをたてていないからかも知れません。2年ぶりの海外旅行。未知の国、ポルトガル。

 飛行機は20:10頃より、リスボン上空へ。街は一面、オレンジ色の明かりでライトアップされています。リスボンの象徴、クリスト・レイ(巨大なキリスト像)が夜の闇に浮かび上がり、それは奇麗でした。

リスボン LISBOA

7つの丘の都と呼ばれる、ポルトガルの首都

 20:30、到着。リスボン空港に降り立ちました。
 『地球の歩き方』に、到着ロビー(2階)のタクシー乗り場は悪質な運転手が多いと書いてあったので、■■と●●は出発ロビー(4階)のタクシー乗り場に行ってみました。10台ほどのタクシーが客待ちしており、先頭のタクシードライバーに『Campo Pequeno HOTEL BERNA』と書いたメモを見せると、ドライバーはうなずき、スーツケースをトランクへ。
 Campo Pequenoとは、HOTELベルナのメトロ最寄り駅の名前です。
 タクシー料金は、初乗り1.95ユーロ(270円)。荷物をトランクに入れると1.5ユーロ(210円)追加。

 空港からタクシーに乗って12分でHOTELベルナに到着。運賃4.05ユーロ+荷物1.50ユーロで合計5.55ユーロ。両替したばかりでお札しか持っていないため10ユーロ札を渡すと、なぜか3.65ユーロしかおつりをくれませんでした。この運転手は、走行中も携帯電話で会話をしたりしていて、感じの良くない運転手でした。こんな人ばかりじゃないといいのですが。
 21:00、HOTELベルナにチェックイン。407号室。楽天トラベルで日本から予約してあり、支払いもすでに済んでいます(クレジットカード決済)。ツインルームが1泊朝食付きで5,800円(※2人分の価格です)。
 カードキーをピッと入れて入室。407号室は、通りに面した部屋。赤が基調。バスタブ・トイレ・ドライヤー付きで、EURO SPORTなどの有料放送の視聴もできます。ベンフィカのUEFA CUPの試合がやっていました。
 エアコンがありましたが、効きがそれほど良くありませんでした。

ホテル・ベルナ
↑ようやく着いた、HOTELベルナの407号室。

 ポルトガルの21:00は、日本時間の翌朝6:00。9時間の時差があります。

 日本で起床してから、HOTELベルナに到着するまで、ちょうど24時間。2人をおそう疲労。リフレッシュしに来たはずなのに…。

 懸念されたポルトガルの天候は、週間予報によるとぐずついていて、
 リスボンは、6日までくもり時々雨
 ポルトは、3日までくもり時々雨 …という予報。

 明日からの旅行、どうなるのでしょうか?

楽天トラベルで 海外航空券予約

2004年12月03日

【3】 リスボン → シントラ → ロカ岬 → シントラ → リスボン

リスボン LISBOA

7つの丘の都と呼ばれる、ポルトガルの首都

 6:00起床。窓の外を見ると、まだ暗闇。雨は降っていないようですが、空模様は暗くて分かりません。
 7:00朝食。ビュッフェ形式。あたたかい食べ物はソーセージ、ベーコン、スクランブルエッグ。その他は、ハム、チーズ、パン、シリアル。野菜がないのが残念でしたが、荒びきソーセージはとてもおいしかったです。ガストのドリンクバーに置いてあるような機械で、ミルクココアからエスプレッソまで作ることができました。

ホテル・ベルナホテル・ベルナの朝食
↑ホテル・ベルナのロビーにはクリスマスツリーが飾られていました。

 この時期のポルトガルは、7:00になると少し明るくなってきて、8:00にはだいぶ明るくなります。8:00に再度窓の外を見ると、空には雲ひとつありません。快晴です。
 「やった~~!」
 「天気予報がはずれたね~♪」
 …という訳で、この晴天の日に、さっそくシントラロカ岬へ行くことに決定。
 本日はまだ宿も決まっていないので、とりあえずチェックアウト。HOTELベルナにもう1泊したいと言ったのですが、「部屋に空きがあるかどうかは、午後にならないと分からない。電話してくれ。」と言われました。
 そこでとりあえずスーツケースを荷物保管部屋に預けることにしました。
 そして、HOTELベルナのフロントで、シントラへの行き方を尋ねると、「まずエントレカンポス駅に行き、そこからひとつ目の駅で降りて乗り換えなさい」というようなニュアンスのことを言われましたが、英語がポルトガルなまりのため、よく分かりません。ついでにベンフィカ・リスボンの試合開催日を尋ねると、「マイチーム!」と誇らしげに答えながらも、「多分日曜日だけど分からない」とのこと。
 なんだか、何を聞いてもぼやけた返答のみ。こんな感じで本当にこれから大丈夫なのでしょうか。不安になります。…がっ、こういう時は、とにかく「空港でロストバゲージしなかっただけでも幸運だ!」「晴れたのが何よりの幸運!」とポジティブに考え、上を向いて出発!
 HOTELベルナから徒歩5分。エントレカンポス駅(電車)に着きました。ホームまで来たものの、どの電車に乗ればシントラまでいけるのか、よく分かりません。それ以前に、どこで切符を買えばいいか分かりません。■■と●●が困惑した表情できょろきょろしていると、ブロンドの黒人女性が話しかけてきました。
 ■■「シントラ(に行きたい)!」
 女性「このホームに来る電車に乗りなさい。(という内容の英語)」
 (●●がヒアリングして、■■に内容を教えてくれた)
 ■■「We have NO TICKETS!」
 女性「OH~!」
 すると、その女性は、ホームの下まで戻って、券売機でのチケットの買い方を教えてくれました。なんて親切なのでしょう!しかも、見た目はとっつきにくそう(←失礼)な感じの人なのに。切符は1人1.3ユーロ(180円)。
 その女性は、■■たちのために電車を1本乗り過ごしてしまいましたが、笑顔で去っていきました。オブリガード!

エントレカンポス駅電車内
↑【左】エントレカンポス駅。 【右】電車内。

 8:55、エントレカンポス駅出発し、1つ目のセテ・リオス駅で下車。

 セテ・リオス駅でシントラ行きの電車に乗り、9:26にシントラ駅着。この間も、何人かにシントラ行きの電車についてたずねましたが、みな親切に教えてくれました。ポルトガル人、とても温かい人たちです。

シントラ SINTRA

森と宮殿の美しい、エデンの園

電車内シントラ駅に到着
【右】シントラ駅に到着。↑

 シントラ駅の駅内にあるインフォメーションで、ペナ宮行きのバスの時刻表と、ロカ岬行きのバスの時刻表をもらいました。
 バス停に、今日のスポーツ新聞が置き捨ててあったので読むと、ベンフィカの試合は月曜日(12月6日)開催。遅くとも日曜日にはリスボンを離れる予定なので、この試合は残念ながら観戦できなそうなことが分かりました。
 ペナ宮行きのバスは、9:55にシントラ駅前発。スポーツ新聞を見終わっても少し時間があったので、売店で絵はがき(1枚0.4ユーロ:56円)を2枚買いました。■■は●●に、●●は■■に書いて、お互いに日本へ送ることにしました。はがきの文面を書いていると、ペナ宮行きのバス(434番)が来たので乗車。シントラのバスは、1Day3.6ユーロ(1人500円)。バスのチケットは車内で運転手から買います。乗客は2人だけ。山道をがんがん登っていきます。

細い坂道を登るバスペナ宮のチケット売り場
↑【左】細い坂道を登るバス。 【右】ペナ宮のチケット売り場に到着。

 未知なる国、ポルトガル。■■と●●が最初に訪れた景勝スポットは、ペナ宮
 1人6ユーロ(840円)と、ちょっと高めの入場料。VISAカードで支払いができました。

ペナ宮への山道ペナ宮への山道
↑【左】ペナ宮への山道。 【右】↑木漏れ日が心地よい山道。

 バスを降りてから、落ち葉が敷き詰められた坂道を徒歩で登ること15分。いろいろな建築様式の寄せ集めで、いわゆる「趣味の悪い」建て物が眼前に広がります。外観自体も奇抜ですが、アズレージョも独特。1度見たら忘れられない魅惑の宮殿。遠めで見るとテーマパークのお城のようですが、実際に中を歩いていると、アラジンになったような気分になりました(アラブっぽいという意味)。とても不思議な建て物でしたが、言い訳を許さない問答無用の迫力があって、■■と●●の胸にガツンときました。

ペナ宮
↑リスボンから電車でわずか30分のところに、こんなところがあるとは…。

ペナ宮ペナ宮
↑圧倒的な存在感。↑

 ペナ宮からの眺めはとてもよく、これから目指す大西洋からリスボンまでが一望できました。時間が早いため、ペナ宮の展望台には他に(スタッフ以外)誰もいませんでした。

ペナ宮からの眺望ペナ宮の門
↑【左】ペナ宮からの眺望。 【右】↑ペナ宮の門。

めずらしいアズレージョ
↑アズレージョ(タイル)まで奇抜です。

グロテスクな門番ペナ宮の壁
↑【左】中庭への通路を守るゲートキーパー。

 宮殿内も見学。ベッドのサイズが小さい印象。昔の貴族は背が小さかったのでしょうか。食器などもきちんと飾られており、豪華絢爛。内部はノイシュバンシュタイン城と大差ない感じでした。それもそのはず、ルートビッヒ2世のいとこ(フェルナンド2世)がペナ宮を造ったそうです。

 ちなみに、■■の愛読書『オブリガード!ポルトガル』(残念ながら今は絶版のようです)によれば、今から7年前、1997年には、リスボン~シントラの鉄道料金は130円、シントラのバス料金は350円、ペナ宮の入場料は280円だったそうです。ユーロ導入後、物価はかなり上昇したもようです。

 ペナ宮から、ムーアの城跡へ。入場料1人3.5ユーロ(490円)。VISAカードOKでした。こういう細かい金額でも積み重なるとかなり影響してくるので、この旅では、カードで払えるところは極力カードで支払うようにしました。

ムーアの城跡ムーアの城跡
↑8世紀ごろムーア人が築いた城の跡。

眺望
↑ムーアの城跡からの眺め。。

あちらはペーナ宮
↑異国情緒たっぷり?

ムーアの城跡ムーアの城跡
↑【左】山の頂きにある城跡。 【右】山道を登ってきた路線バス。↑

 ここも眺望がいいですが、基本的にペナ宮と見えるものはいっしょ。城壁の跡が、遺跡のように広大に残存しています。起伏が激しく、城跡全てをめぐるのは無理でしたが、雰囲気を感じて、城跡前のバス停へ。

 11:38にバスに乗車。シントラのバスは、反時計回りに町の見所を一周しています。11:50にシントラ駅前(終点)到着。

 同じバス停から、11:55発、ロカ岬行き(正確にはロカ岬経由・カスカイス行き)のバスにうまく乗れました。これは403番のバスで、1人2.83ユーロ(400円)。車窓からの景色は、スペインのアンダルシアを彷彿とさせます。
 ガッタガッタ揺れながら走るバス。運転はかなり荒かったです。でも、地元の女性は赤ちゃんを抱えながら乗っていました。

ロカ岬 Cabo da Roca

陸の終わる場所

 12:40、ロカ岬到着。乗客15人ほどでしたが、下車したのは■■と●●だけ。2人ともバス酔いで、ちょっとくらくら。
 それでも、やってきましたユーラシア大陸最西端。
 北緯38度47分・東経9度30分

ロカ岬の石碑ロカ岬・カモンエスの詩
↑【左】ロカ岬の石碑。 【右】カモンエスの詩『ここに地果て、海始まる』↑。

ロカ岬
↑美しい大西洋と、抜けるような青空。

ロカ岬の絶壁
↑高さ140メートルの断崖。

 風はそれほど強くなく、コートを着ていれば特別寒くありませんでした。絶壁の西に、水平線が広がります。まさに、『ここに地果て、海始まる』。こころの洗濯には、もってこいの場所。ロカ岬は、フロンティア・スピリッツの象徴。単に『大西洋と断崖がある場所』というだけでなく、『目で見えない目標(新大陸)に向かって多くの人が大海原へ旅立っていった』という歴史的事実が、この場所を訪れた人の胸を熱くさせるのでしょう。

ロカ岬ロカ岬
【右】感じたのはどんな風ですか?↑

ロカ岬ロカ岬の絶壁
【右】天候が良く、今日の波は穏やか。↑

 ロカ岬を歩いていると、ぺナ宮で会った観光客がいました。バスには乗っていなかったので、レンタカーで旅しているのでしょう。

 ■■と●●は、しばらく海を眺めたあとインフォメーションに行き、最西端到達証(Certificado:1枚5ユーロ:700円)を発行してもらうことに。インフォメーションのスタッフが、かわいい字体で名前と日付を記入してくれました。
 旅行初日から、折り曲げずに保管しなくてはならないものを購入してしまいました。とりあえず、シントラのバス停で見つけた新聞で包み、折り曲がりにくいようにしてカバンの中にしまいました。ちなみに、shijyukaraさんのブログに、最西端到達証に書かれたポルトガル語の日本語訳が載っています。

ロカ岬ロカ岬
↑【左】最西端到達証。

ロカ岬
↑ロカ岬のベストアングル。よくガイドブックに載っているだけのことはあります。

 ロカ岬を十分堪能したので、またシントラに戻ることにしました。本来インフォメーションの前にバス停があるのですが、道路の舗装工事をやっていたためロータリーでバスを待っていたら、14:10発のバスは、なんと停車せずに通り過ぎていってしまいました!
■■と●●の他に3人も待っていたのに!
ここに地終わり海始まる 「そりゃないよ~」
 「ひどい!」
 気を取り直して、インフォメーションの中で絵はがきを書くことにしました。この物語→のように、できればロカ岬から郵送したかったのですが、インフォメーションからは送れないとのことなので、あきらめました。「この世のなかのありとあらゆることは、始まりばっかりなのかもしれない」と主人公は言いましたが、■■と●●がバスの乗り遅れたことも、何かの始まりだったのでしょうか…。

シントラ SINTRA → リスボン LISBOA

 14:56発のバスでシントラに戻り、シントラ駅のひとつ前のバス停で15:30下車。歩行者天国を通りながら駅まで戻りました。

シントラシントラ
↑シントラの街並み。

 16:05シントラ駅発の電車に乗り、16:40セテ・リオス駅下車(本当はロッシオ駅まで行きたかったのですが、現在改装のため閉鎖中だったので)。そこからメトロに乗ってリベルダーデ通り周辺のペンサオン(『地球の歩き方』113ページ)を当たってみることに。
 PENSAOアレグリアの屋根裏部屋が1泊25ユーロ(朝食なし)でしたが、天井が低く圧迫感があるのでとりあえず断り、他にも1つホテルを当たりましたが満室だったので、とりあえずHOTELベルナに戻ることにしました。
 メトロに乗って、HOTELベルナに戻ったのが17:50。ツインルームが空いていたので、結局ベルナにもう1泊することにしました。1部屋49ユーロ(6860円、朝食なし)。今夜は203号室。通りに面していない部屋で、暖房の効きは昨日の部屋よりgood。
 幸い、最西端到達証は、折り曲げずに持ち帰ることができました。

今日の反省

 その日のホテルが決まっていないと、精神的にものすごく疲れます。この日はもう外出する気力は無く、ホテルの中で夕食をとりました。ホテルはその日の朝にとるべきだということが分かりました。
 ポルトガルの雨季の天気は変わりやすい。そう聞いていた■■と●●は、その日の天気により行き先を決めようと考えていましたが、自由組み立てプランの悪い面が出てしまいました。海外旅行は計画が大切。アドリブに頼るのは危険!

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2004年12月04日

【4】 リスボン

リスボン LISBOA

 時差ぼけが続いていて、6:00に起床。本日も、雲が全くない晴天の模様!
 「よし、今日はオビドスに行こう!」

 旅行のラスト2日(12月11日・12日)は、リスボンに戻ってくることがほぼ確定しているので、HOTELベルナをチェックアウトした際に、12月11日・12日の宿泊予約をしておきました。

 そしてそれから、昨日と同様、HOTELベルナのフロントにスーツケースを預け、8:15にベルナを出発。
 ベルナの1本南の路地にあった公衆電話から、●●が昨日見学したPENSAOアレグリアへ電話をかけました。「(英語で)昨日見せてもらった401号室に泊まりたいのですが、空いていますか。」と話し、人数と名前を言って予約完了。電話代は0.25ユーロ(35円)かかりました。昨日の反省を踏まえて、今日は朝にホテルを予約することにして、見事成功。

 今日は、重~いスーツケースはHOTELベルナに預けたまま、下着・歯ブラシ・コンタクトレンズ・パジャマなどの宿泊に必要なものだけを持ち運び、そのままアレグリアに泊まる予定。つまり、リスボンにいる間は、スーツケースをHOTELベルナに預けっぱなしにすることにしたのです。わざわざスーツケースをベルナからアレグリアに運んでいては、体力が持ちませんので。こういうグッドアイディアは、●●の頭から生まれることが多いです。

 HOTELベルナから、メトロ(黄ライン)のカンポ・ペケーノ駅までは徒歩5分。そこからメトロに乗っていくと、カンポ・グランデ駅に着く直前で、メトロが地下から地上へパーーッとでて、進行方向に向かって左側に、あのジョゼ・アルバラーデ・スタジアムが! ジョゼ・アルバラーデ・スタジアムは、EURO 2004の準決勝、ポルトガルvsオランダが行われたサッカー専用スタジアム。ポルトガルリーグのシーズン中は、スポルティング・リスボンというチームの本拠地です。

ジョゼ・アルバラーデ
↑原色を派手に使ったジョゼ・アルバラーデ・スタジアム。

ボーリング場スポルティングのショップ
↑【左】スタジアム内にボーリング場が! 【右】スポルティングリスボンのグッズショップ。↑

 8:50にカンポ・グランデ駅で下車し、駅の階段を下りてすぐのところにあるバスのターミナルで、オビドス行きのバスを待つことに。時刻表を見ると、9:30リスボン発・オビドス行きのバス(Tejo社)があるようなので、ジョゼ・アルバラーデを見物したりして時間を過ごし、9:20頃からバス停の前で待っていました。

 しかし、いつになってもバスが来ません。9:45になっても来ないので、違うところに停まっていたTejo社のバスの運転手に、■■が「オビドース?!」と尋ねると、「ナォン!なんたらかんたら(←ゆっくり話してくれたのですが、ポルトガル語で理解不能)」と言われ、更に混乱。■■と●●で、またそのバスの運転手に話しかけると、紙に「16H45」と書いて●●に渡してくれました。どうやら今日は土曜日のため、9:30発のバスは運休のようです。理解不能のポルトガル語は、「16」と「45」だったみたい。

 反省をもとに望んだ観光2日目でしたが、出だしからつまずいてしまいました。約1時間のタイムロス。
 今日は、オビドスに行くのは中止して、リスボンを観光することにしました。
 (※ ■■と●●がオビドスを訪れたのは、12月9日です。今すぐオビドスの旅行記が読みたいかたは、ここをクリックしてください。)

 気を取り直して、9:50カンポ・グランデ駅発のメトロ(黄ライン)に乗り、マルケス・ポンバル駅でメトロ(青ライン)に乗り換え、10:20パルケ駅下車。
 エドゥアルド7世公園からリスボン観光をスタートしました。ここは、少し高台になっていてテージョ川が見えますが、ちょうど逆光で、ものすごくいい眺め…という訳ではありませんでした。

リベルダーデ大通りリベルダーデ大通り

リベルダーデ大通りリベルダーデ大通り
↑リベルダーデ大通りを南へ。

 リベルダーデ大通りを闊歩し、PENSAOアレグリアのそばを通ったので、とりあえずチェックインすることにしました。1部屋1泊25ユーロ(3,500円:朝食なし)。下着・歯ブラシ・コンタクトレンズ・パジャマ・スリッパを部屋に置いて、11:30出発。
PENSAOアレグリアから徒歩3分で、レスタウラドーレス広場へ。街中へのアクセスという点では、HOTELベルナよりも数段上です。

 ケーブルカー(グロリア線)の前では、いつも栗屋が栗を焼いています。熱心に焼き栗の写真を撮っているおじさんがいて、目が合った■■に「あなたも栗を写真に撮れ(ポルトガル語)」と言うので、■■も栗の写真を1枚。

ペンサオン・アレグリアバイシャ地区
↑【左】PENSAOアレグリアの入口。 【右】バイシャ地区の街並み。↑

焼き栗
↑グロリア線ケーブルカー前の焼き栗屋。ビッグサイズです。

 コルメシオ広場に行くと、海…ではなく、テージョ川が眼前に広がっていました。

コルメシオ広場改革王・ドン・ジョゼ1世の像
↑【左】コルメシオ広場。 【右】改革王ドン・ジョゼ1世の像。↑

 そして、ここから目指すは、小高い丘の上にあるサン・ジョルジェ城。そこにたどり着くまでに、5つのスポットがあります。

 (1) コンセイサオン教会 花嫁が寝ている像が印象的。
 (2) くちばしの家
 とんがった壁の建物。イタリアのフェラーラという都市にあるディアマンティ宮という建物と似ています。
 くちばしの家の右隣にあるおみやげ屋は、仲のいい夫婦が経営していました。
ニワトリの置物(ハンドメイドなので1つ1つ微妙に形が違う、2.52ユーロ:350円)と、裏がコルクのアズレージョ(1.9ユーロ:260円)を購入。この後もいろいろなおみやげ屋でニワトリの置物を見ましたが、ここのニワトリは、トサカや目の形がかわいらしく、おすすめです。包装がていねいで、VISAも使えました。
 (3) カテドラル ステンドグラスの円窓がきれい。
 (4) サン・アントニオ教会
 (5) サンタ・ルジア展望台
 ちょっとした公園になっています。

コンセイサオン教会くちばしの家
↑【左】コンセイサオン教会。 【右】くちばしの家。↑

リベルダーデ大通りリベルダーデ大通り
↑【左】コンセイサオン教会の花嫁像。 【右】おみやげ屋。↑

カテドラルカテドラルの円窓
↑【左】カテドラル。 【右】カテドラルの円窓。↑

カテドラル内部カテドラル外観
↑【左】カテドラルの内部。 【右】カテドラルの外観。↑

サンタ・ルジア展望台サンタ・ルジア展望台
↑【左】サンタ・ルジア展望台。 【右】展望台のそばにあるアズレージョ。↑

 5つのスポットを順に巡りながら、石畳の登り坂を歩んで行きました。
 途中、カフェで軽くつまみ食いをして、14:00、サン・ジョルジェ城到着。ガイドブックには無料と書いてありますが、入場料が1人3ユーロ(420円)かかりました。おそらく、2004年6月にEURO2004(サッカーのヨーロッパ選手権)がポルトガルで開催され、それ以来有料になったのだと思われます。とは言え、サン・ジョルジェ城は、お金を支払って入場する価値、十分にありです。

サンジョルジェ城マップ
↑サン・ジョルジェ城入口にあった地図。

サンジョルジェ城サンジョルジェ城
↑サン・ジョルジェ城からの眺め。↑

サンジョルジェ城の砲台
↑パノラミックなリスボンの街。

 砲台が並ぶ展望台からは、白い壁とオレンジ色の屋根の街並みが広がっています。さっきまでいたコルメシオ広場がとても小さく見え、あそこからここまで歩いて登ったというのがうそみたいに思えました。
 そして、イスラムのムーア様式をとどめる丘の上の城は、遺跡と展望台という2つの側面を持っています。城塞の造りは、『ドラゴンクエスト(ゲーム)』に出てくる城のようなイメージ。

ライオンの石像サンジョルジェ城の門
↑【左】ライオンの石像。 【右】サン・ジョルジェ城の門。↑

サンジョルジェ城の門眺望
↑【左】サン・ジョルジェ城の門。 【右】城の周囲。↑

ポルトガル国旗階段の下から
↑【左】はためくポルトガル国旗。 【右】階段の下からこんにちは。↑

のぞき窓まるでドラゴンクエスト
↑【左】のぞき窓。 【右】壁が低くて高所のため、少し怖いです。↑

 このように、観光客にとっては3ユーロ払っても大満足できるサン・ジョルジェ城ですが、リスボン市民は無料で入場できるのでしょうか。もし、市民も有料になってしまったのなら、彼らは大事な憩いの場を1つ失ったことになります。●●は、そんなことを気にかけながらここを後にしました。

 15:30にサン・ジョルジェ城を出発。帰り道のカフェで、■■はサグレスという銘柄の国産ビール(0.85ユーロ:120円)を飲み、●●はポテトチップ(0.99ユーロ:140円)を食べました。

おみやげ屋ポルトガル名物の洗濯物
↑【左】サン・ジョルジェ城近くのおみやげ屋。 【右】アルファマ地区の洗濯物。↑

サグレスで乾杯ロシオ広場
↑【左】カフェでサグレス・ビールを乾杯。 【右】夕方のロシオ広場。↑

 夕方になり、バイシャ地区を歩いていて、そろそろおなかが減ってきたのでお店に入ることにしました。ポルトガルのレストランは、一般に開店時間が遅いようですが(19時開店というところもざらにあります)、バイシャ地区のこの辺りは観光地のため、夕方でもオープンしているお店が多かったです。外にメニューを出しているお店が多いので、メニューを見て入るお店を決めることに。はじめに見つけたお店は、こじんまりとしていてよさそうでしたが、満席でなかなか席が空かなかったため、違うお店に行くことにしました。
 次に見つけたお店が、MODERNA RESTAURANTE。適度に混んでいて、よさそうなお店です。

ケイジョ(前菜のチーズ) 1.9ユーロ(266円)
フランゴ・アサード(ロースとチキンとフライドポテト) 5.9ユーロ(826円)
ポルコ・ア・ポルトゲーザ(豚肉とポテトのポルトガルソース和え) 6.7ユーロ(938円)
ジョッキビール(400mL) 3.5ユーロ(490円)

フランゴアサードとポルコアポルトゲーザ
↑ボリュームたっぷりのフランゴ・アサード(手前)とポルコ・ア・ポルトゲーザ(奥)。

 ポルトガルのレストランは、写真のようにのテーブルクロスが広がっていることが多かったです。味は濃い目でしたが、とても美味しかったです。店内では、スコラリ(ポルトガル代表監督)に似たウェイターと、ミスタービーンに似たウェイター、2人がきびきびと動いていて、好感の持てるお店でした。
 隣りの席に、ウィーンから来たという74歳の男性が座っていて、いろいろ会話がはずみました。彼は最初「私はジャーナリストなので、いいアイディアをたくさん持っている。」とうそぶき、「市電の28番がおすすめだ。私はいいアイディアを持っている。」「7Colinasセッテ・コリーナシュという、乗り物1日券が便利だ。」「私は3ヶ月前にComa(昏睡状態)になった。」と教えてくれました。今日は水族館に行ってきたそうです。オーストリアは内陸国なので、水族館がめずらしいのでしょう(多分)。

オーストリア人●●
●●「新婚旅行でシェーンブルン宮殿に行きました。」
男性「ベリーグッドだったでしょう?」
■■「でも、残念ながら雨でした。」

MODERNA RESTAURANTEマデイラワインを乾杯
男性「(ウェイターに)マデイラ・ワインおかわり。」
ウェイター「1つですか?」
男性「ノー。3つだ。」

 という訳で、■■と●●は、マデイラ・ワイン(ポルトガル・マデイラ島原産の、酒精強化ワイン)をごちそうになりました。『袖振り合うも他生の縁』。はじめのお店が満席でなかったら、この愉快なオーストリア版・伊東四朗と出会うこともなかったのです。とても楽しいひとときでした。

 そして、店から出て、また幸せな気分に!
 辺りは夜。イリュミネーション。黄色の電飾が、光の門となって■■と●●の前に現れました。フィゲイラ広場、ロシオ広場は青い電飾。派手ではなく、ポルトガルらしく控え目できれいな電飾でした。

レストランの前リスボンの夜
↑【左】MODERNA RESTAURANTE。 【右】リスボンの夜。↑

リスボンの夜ロシオ広場
↑【左】リスボンの夜。 【右】ブルーの電飾。↑

ロッシオ広場キリストのしずく
↑【左】ロシオ広場。 【右】リベルダーデ大通りの電飾。↑

 20:00、PENSAOアレグリアに戻りました。アレグリアの廊下は、電気がセンサー式になっていて、客が歩くときだけ点灯するようになっていました。他にも、センサー式の電気を採用しているホテルがいくつかありました。ポルトガル人は意外と節約家のようデス。
 21:00、睡眠。
 1:00頃目がさめ、お風呂のお湯を貯めようとしたら、寝ぼけていて、もう少しで溢れてしまうところでした。

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バルセロスの雄鶏
ポルトガル産ワイン 4本セット

2004年12月05日

【5-a】 リスボン → ナザレ

リスボン LISBOA

 6:30、起床。PENSAOアレグリア401号室の窓から、闇の中にライトアップされたサン・ジョルジェ城が見えました。

 7:10、PENSAOアレグリアを出発。……しようとしたとき、フロントのお兄さんが、朝食なしでチェックアウトする■■と●●に、こう声をかけてくれました。
 「オレンジジュースを飲んでいくかい?」
 ポルトガル人は、優しいなぁ~。

ペンサオンアレグリアメトロ
↑【左】PENSAOアレグリア401号室のドア。  【右】メトロ。↑

 7:20、メトロのレスタウラドーレス駅へ。
 1日券の『7 Colinas Card(セッテ・コリーナシュ・カード)』は、自動券売機では購入できないようなので、窓口(券売り場)で買うことに。こんなに早い時間、しかも日曜日に、窓口に駅員がいるかどうか心配でしたが、たまたまいてくれました。電気はついてない状況でしたが、■■が近づき「7 Colinas、1 Day ticket」と伝えると、購入することができました。

 『7 Colinas Card(セッテ・コリーナシュ・カード)』は、メトロ、バス、市電、ケーブルカー、サンタジュスタのエレベーターが全て乗れるようになる切符です。1日乗り放題券(1 Day Network)が、3.4ユーロ(1日乗り放題料金2.9ユーロ + カード代0.5ユーロ)でした。
 このカードは、JRの『SuiCa』のように、1度購入すれば、後日チャージして使用することができます(チャージは、窓口でも自動券売機でも可)。使用法も『SuiCa』と同じで、財布の中に入れたまま、改札の所定の位置にかざすだけでよいのでとても便利。このカードは、1日リスボンを周遊するなら、非常にお得です。

 メトロで、レスタウラドーレス駅からカイス・ド・ソドレ駅まで行き、地上に出て、15番の市電(Electrico)を待ちました。

 15番の市電は、8:00にカイス・ド・ソドレ駅前を出発し、8:12にベレン着。

カイスドソドレカイス・ド・ソドレ駅前の市電乗り場
↑【左】メトロのカイス・ド・ソドレ駅にあったツリー。  【右】市電乗り場。↑

リスボンの市電リスボン・ベレン地区
↑【左】市電の中。  【右】ベレン地区に到着。↑

 おっと、まだ書いていませんでしたが、本日の目的地はベレン地区。2つの世界遺産、ジェロニモス修道院とベレンの塔があることで有名な地域です。本来ならどちらも、入場料が3ユーロかかるのですが、日曜日に限り入場無料。楽しみです。

 ですが、まずは観光の前に、腹ごしらえ。老舗の『パステイス・デ・ベレン』へ。お菓子屋であり、カフェであるこの店。とにかく歴史と伝統があり、その名に恥じない味を持つお店でした。
 パステイス・デ・ナタ(エッグタルト)は、焼きたての薄いパイ生地の中にあつあつのカスタードクリームが入っていて、上からシナモンをふりかけてあります。できたてで、程よい甘さで、パリパリで、最高においしかったです。
他にマドレーヌとフィナンシェ(と思われるお菓子)を買いました。どれも1つ0.75ユーロ(105円)。

パステイス・デ・ベレンパステイス・デ・ナタ
↑【左】老舗のカフェ、パステイス・デ・ベレン。  【右】パステイス・デ・ナタ。↑

 2つの世界遺産はいずれも10:00開演なので、まずはもう1つの見どころ、9:00開演の『発見のモニュメント』へ。
 途中、ブラジル人っぽいグループが歌いながら通り過ぎていきました。
 朝市を準備しているインペリオ広場を通り抜け、地下通路(線路の向こうに行くために必要)を進み、8:30に発見のモニュメントへ到着。

大理石のモザイク
↑大理石でつくられた、ポルトガルを中心とした世界地図。

 高さ52メートル。1960年に、エンリケ航海王子の500回忌を記念して造られた比較的新しいモニュメント。レオポルド・デ・アルメイダの力作。EURO 2004中継のオープニング(WOWOW)で使われていたことからも、これがポルトガルの象徴であることがよく分かります。これほどまでに心を揺さぶる像には、これまでお目にかかったことがありませんでした。

発見のモニュメント
↑壮大なモニュメント。

発見のモニュメント発見のモニュメント
↑東側から見た、朝日に照らされる発見のモニュメント。↑

Padrao dos Descobrimentos
↑ポルトガル語で、『Padrao dos Descobrimentos』。

発見のモニュメント
↑かなりの大きさ。

4月25日橋発見のモニュメント
↑【左】ベレン地区から見た4月25日橋。  【右】西側から見た発見のモニュメント。↑

 この像は、
 ポルトガル人に誇りを、そして、
 旅行者に「ああ、はるばるポルトガルにやってきたんだ。」という実感を与えてくれます。

マヌエル、カブラル、マゼラン
↑そうそうたるメンバー。

 先頭から、エンリケ航海王子、マヌエルI世、ヴァスコ・ダ・ガマ、カブラル、そしてマゼラン。さらに詳細を知りたい方は、Poohさんのブログを参照してください。

発見のモニュメント発見のモニュメント
正面(北側)から見た発見のモニュメント。↑

 想像以上に巨大な像たちが、大航海という同じ目的を持って、同じ方向を見つめています。朝日に照らされる、エンリケ航海王子、及び彼をサポートする人たちの像。テージョ川からの風。雲ひとつない青空。ベレンの石畳に伸びる長い影。

 朝早かったため、この空間は30分間、■■と●●の2人だけの貸し切り状態でした。冬のヨーロッパ個人旅行は、こんなに贅沢な時間を旅行者に与えてくれます。

 9:00になり、いよいよ発見のモニュメントの内部へ。52メートルの展望台になっているのですが、エレベーターが故障中のため、展望台の上には階段(350段!)を登らないと行けないと言われてしまいました。

 旅行の格言 『階段には気をつけよう』

 ■■は2年前(2002年)、新婚旅行の観光初日にはりきりすぎて、プラハで2つの展望台に階段で登ったために、翌日以降すさまじい左足の痛みに襲われた苦い想い出があるので、ここ(発見のモニュメント)は迷わず登らないことにしました。
 まだ旅行3日目。無理は禁物です。
 残念ですが、眺望なら昨日サン・ジョルジェ城で味わっているので、登らずに次の見どころへ向かうことにしました。

 発見のモニュメントを見納めで眺めていると、■■たちと入れ違いで、観光バスから観光客(おそらく中国の人)がどーっと降りてきました。みるみるうちに、大理石の世界地図が団体客で埋め尽くされていきました。
 ツアーにはツアーの良さがあることを十分承知しているつもりですが、大勢と交わらずにモニュメントを堪能できた■■と●●は、幸福でした。

マラソンジェロニモス修道院
↑【左】公道を利用したマラソン。  【右】インペリオ広場から見たジェロニモス修道院。↑

 ジェロニモス修道院をちょっと覗くと、日曜なのでミサをやっていました。今日は日曜日なので、午後に結婚式をやるかもしれません。『世界遺産』で結婚式とは、なんともスケールの大きな話ですねぇ。
 しかもここには、カモンイスとヴァスコ・ダ・ガマが眠っているのです。どちらかと言うと、ヴァスコ・ダ・ガマの棺よりもカモンイスの棺の方が、光のあたるところに置いてありました。

眠るヴァスコダガマ眠るカモンイス
↑【左】ヴァスコ・ダ・ガマの棺。  【右】詩人カモンイスの棺。↑

あまりにも美しいジェロニモス修道院
↑非のうちどころがない美しさの、ジェロニモス修道院。世界遺産です。

 ミサを運良く見ることができましたが、ジェロニモス修道院の回廊には10:00にならないと入れないので、ベレンの塔に先に向かいました。

ベレンの塔
↑マヌエル様式の、ベレンの塔。こちらも世界遺産です。

 ベレンの塔に10:05に到着し、らせん階段を上がり、屋上の展望台へ。発見のモニュメントよりは低いですが、テージョ川の向こうを見渡せました。ここのらせん階段は、人と人がぎりぎりですれ違えるくらいの幅しかないので、開演後すぐに登って正解でした。上がるときはすんなり上がれましたが、下りるときにはすでに大勢とすれ違うことになったのです。

ベレンの塔3階ベレンの塔3階
↑【左】16世紀からテージョ川を見守ってきた塔。  【右】屋上の展望台。↑

かわいい子供とこんにちは遠めのベレンの塔
↑【左】展望台でハイ・ポーズ!  【右】。遠目から見たベレンの塔。↑

 10:30にベレンの塔を離れ、10:47に、またジェロニモス修道院へ。今度は教会内部ではなく、ジェロニモスの中庭(回廊)に入りました。観光客が大勢います。

ジェロニモス修道院の回廊ジェロニモス修道院の回廊
↑ジェロニモス修道院の回廊。↑

 ガイドブックの写真だと、ジェロニモス修道院の中庭は壁がかなり劣化しているよう(ベレンの塔と同じくらい古く見える)でしたが、■■と●●が見た中庭はきれいなベージュ色の壁でした。おそらく最近、壁を塗り直したのでしょう。非常に美しい2階建ての回廊でした。
 『ジェロニモス 胡椒(コショウ)が建てた 修道院』

ジェロニモス修道院の回廊
↑●●は、どこにいるでしょう?

 ジェロニモス修道院もベレンの塔も、美しい建物でしたが、ベレン地区で最大のアメージングは、やはり発見のモニュメントでした。

 ジェロニモス修道院を11:30に見終わり、ベレン地区をあとにすることに。
 パステイス・デ・ベレンには、ものすごい人だかりができていました。●●ががんばって並び、またパステイス・デ・ナタを購入しました。

ジェロニモス修道院市電
↑【左】ベレンが誇る回廊。  【右】vodafoneの広告が不思議と街並みにマッチ。↑

 14:00のナザレ行きのバスまで、まだ時間が少々あるので、国立古美術館へ行くことにしました。
 地球の歩き方の地図で見ると、15番の市電(ベレンに来るときに乗った市電の復路)で行けばよさそうな感じです。パステイス・デ・ベレンのすぐ前の道路にある市電・バス乗り場に座っていた口ヒゲのおじさんに、国立古美術館の行き方を尋ねると、「27番か49番のバスに乗りなさい。」とのこと。

 ■■「おじさんは27番か49番のバスだって言ってるけど、15番の市電でも美術館に行けると思うよ。あっ、15番の市電がちょうど来たから乗ろう。」
 おじさんは、「ノー。それじゃだめだ。」と言って■■と●●を必死に止めようとしましたが、2人はおじさんの助言を無視して、15番の市電に乗りこみました。
 しかし、2人が乗った市電は、4月25日橋の担架をくぐったあたりで、車庫に入ってしまいました。もちろん、その前に乗客は(2人を含めて)強制的に降ろされました。
 ■■「あれ~?なんでだろう。まあ、とにかくバス停を探そう。」
 すぐに、27番と49番のバス乗り場が見つかりました。そこで待っている高貴な感じの老女に「Museu Nacional に行きたいのですが?」と尋ねると、老女は「ここの27番か49番のバスに乗りなさい。とても美しいわよ。」と答えてくれました。

 (※本来なら、国立古美術館は『Museu Nacional de Arte Antiga』と尋ねなければアズレージョ美術館『Museu Nacional do Azulejo』などと混同される恐れがありますが、このときは幸いこれで通じました)

 11:55、27番のバスが着たので乗車。バスは坂を登っていき、何やら変な方向へ向かっている気がしたので、乗客のおばあさんに「Museu Nacional に行きたいのですが?」と尋ねると、ポルトガル語で何か言いながら運転手を指差しました。

 運転手に聞けと言う意味だと理解し、運転手に尋ねると、これまたポルトガル語なので意味がよく分かりません。そうこうしているうちに、おばあさんを中心として、乗客が皆、美術館への行き方(そして、それをどう日本人観光客に伝えるか)を相談しあいだしました。そして、帽子のおじさんが、指を折りながら「ウマ、ドイシュ、トレシュ!」と、■■に教えてくれました。これは、「3つ目のバス停で降りなさい。」という意味に他なりません。それでも若干の不安を抱えながら乗っていると、3つ目のバス停に着き、乗客の1人・口ヒゲのおじさんが、「ここで降りるんだ。」と教えてくれました。

 バス停で降りると、口ヒゲのおじさんも降り、「美術館はあっちだ。」と指で指して教えてくれ、去っていきました。

 そのとき、●●は気がつきました!「あのおじさんは、パステイス・デ・ベレンのすぐ前の市電・バス乗り場で道を尋ねたおじさんだよ!!」

 …助言を無視した観光客に、このように親切に接してくれるとは、なんという懐の深さでしょう。「オブリガード!」降りたバス停から徒歩1分で、国立古美術館に到着。

 なるほど、『地球の歩き方』の地図では、市電15番の路線からすぐのように見えますが、美術館は高台にあるため、歩くとかなりの距離があるのです。それに比べ、27番(もしくは49番)のバスなら、降りてすぐに美術館があるので、口ヒゲのおじさんも高貴な老女も27番(もしくは49番)のバスを薦めてくれたのです。「オブリガード!」

ジェロニモス修道院ベレンの塔3階
【右】何とかたどり着いた、国立古美術館。↑

 国立古美術館も、日曜日は入場無料(平日は3ユーロ:420円)。

 美術館内は、1階に金色の教会がありました。そして、ポルトガル教会の特徴、宗教的なジオラマもありました。

2階には、モダン・ジャパニーズを意識した建築になっていて、日本や中国、イスラムの美術品が飾られていました。そして3階には、ポルトガル国内の絵画と彫刻が飾られていました。

 12:25に国立古美術館を出発。日中は14℃まで上がります。写真のような、薄手のコートやジャンパーを着ていれば、寒さは感じません。
 帰りは15番の市電に乗ろうと思いましたが、市電が走っているはずの線路沿いの道路で市民マラソンが開催されており、市電・バス共に運休していたので、カイス・ド・ソドレ駅まで歩いていき、そこからメトロでカンポ・ペケーノ駅まで行きました。カンポ・ペケーノ駅は、そう、HOTELベルナの最寄り駅です。

 13:25、HOTELベルナで、預けていたスーツケースを受け取り、13:36エントレカンポス駅発の電車で、西に1つ目のセテ・リオス駅(Sete Rios)13:40下車。

 メトロの駅と違い、電車の駅にはエレベーターやエスカレーターがあるので、スーツケースを持っての利用に非常に適しています。このセテ・リオス駅の北東の出口から出ると、すぐにエスカレーターがあり、それを登るとセテ・リオス・バスターミナルがあります。
 『地球の歩き方』や『個人旅行』には、長距離バスの出発・到着場所として、メトロのサルダーニャ駅かから徒歩5分のところにあるアルコ・ド・セゴ・バスターミナルが紹介されていますが、昨日、リスボンのインフォメーションで聞いたら、アルコ・ド・セゴではなく、セテ・リオス・バスターミナルを紹介され、そこの時刻表をくれました。
 『ひとあじ違う ポルトガルの旅/パウロの家』、『Portugal daily travel news』、『地球の歩き方・ガイドブック更新情報掲示板』の記事によると、長距離のバスターミナルは2004年9月に、アルコ・ド・セゴからセテ・リオスに移転したようです。
 アクセスが良く、バスの本数が多くて、このセテ・リオス・バスターミナルは非常に便利。ここから、アルブフェイラ、アルコバサ、バターリャ、カルダス・ダ・ライーニャ、エヴォラ、ファーロ、ファティマ、ラゴス、ナザレ、ペニシェ、ポルト、セトゥーバル、トマールなど、各都市とリスボンを結ぶ長距離バスが、出発・到着しています(2004年12月現在)。

 ■■と●●の目的地は、ナザレ。リスボンからナザレまで、所要時間1時間50分、7.3ユーロ(1020円)。

 14:00にナザレ行きのバスが出発。REDE社の2階建てバスで、2階が暖房の効きすぎていて、ものすごく暑かったです。しかも、ポルトガルのバスは、窓を開けることができないので、半袖でちょうどいいくらいでした。ちなみに、ドリンクホルダーはついていません。

 途中、カルダス・ダ・ライーニャを経由して、ナザレへ。
 ナザレのバスターミナルに近づくにつれ、片側1車線の1本道が少しずつ混んできました。海岸沿いの道路をノロノロ走るバス。路上駐車の車が多く、冬のわりには浜辺に多くの家族連れがいます。快晴の日曜だからでしょうか。
 ガイドブックからは、ひなびた漁村を想像していまいたが、なかなかどうして、国内外の観光客が多く訪れるビーチリゾート地のようです。

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【5-b】 ナザレ

ナザレ NAZARE

イワシの美味しい観光漁村

セテリオス・バスターミナルナザレ・バスターミナル
↑【左】リスボンのバスターミナルを出発。  【右】ナザレのバスターミナルに到着。↑

 15:55、予定より5分遅れてナザレ・バスターミナルに到着。ここは、町の中心地・プライア地区に位置しているので、とても便利。小さな町のバスターミナルですが、きちんと屋根がついていました。
 明日の目的地(コインブラ)へ向かうバスの時刻表を忘れずにもらい、本日のホテル探しに出発。
 客引きのおばさんが話しかけてきましたが、とりあえず相手にしないで、まずは、『地球の歩き方』』『個人旅行』『ワールドガイド』の3誌に掲載されていて、バスターミナルから徒歩90秒の好立地、Residencialアデガ・オセアーノをあたってみました(Residencial=安いホテル という意味)。

 フロントで、
  朝食なしで海の見えない部屋が、1人1泊15ユーロ(2人1泊30ユーロ)。
  海の見える部屋は、1人5ユーロup。
  朝ご飯付きだと、1人5ユーロup。
 と、説明されました。

 外に出れば徒歩30秒で海岸に行けるし、朝ご飯2人で10ユーロは高いと思ったので、朝食なしで海の見えない部屋に泊まることにしました。ダブルルームかツインルームか聞かれたので、仲良し夫婦は、迷わずに声をそろえて「ワン・ビッグ・ベッード!」と答えました。「ワン・ビッグ・ベッド」は、欧州共通のホテル用語です。
 エレベータがついてあり、VISAカードでの支払いもOK。2人1泊30ユーロ(4200円)。
 108号室はこじんまりとした部屋でしたが、窓のカギが閉まらず、シャッター(雨戸)の閉め方も分からなかったので、■■がフロントに行って「I want to ウィンドウ シャッター ダウン!」とブロークン英語で頼み、フロントの人(1階レストランのウェイターも兼任している)に部屋に来てもらうことに。フロントの人は、うまく操作して、シャッターを閉めてみせました。「ライク・ウーマン!(女の人を扱うように閉めるのさ!)」と言い、笑っていました。窓のカギが閉まらないことも言いましたが、「ノープロブレム!200%セキュリティー!」と言い、笑っていました。こういうところは、やっぱりラテン系。
 16:30、Residencialアデガ・オセアーノを出発。

アデガ・オセアーノナザレの夕日
↑【左】Residencialアデガ・オセアーノ。  【右】レプブリカ通りから見た夕日。↑

 海岸沿いのレプブリカ通りは、若い恋人や家族連れと、地元の住民が混ざり合い、独特の雰囲気。しかし、少なくとも海岸を見渡すかぎりではさびれた印象はありません。バスから感じた印象は、やはり間違っていませんでした。
 北へ向かい、『Ascensor(ケーブルカー)』と書かれた案内看板にしたがって歩いていくと、古い家々に混じって、ガラス張りの建て物がいきなり現れました。この1件だけ、明らかに浮いています。IT関連のオフィスか、それとも近未来を題材にしたハリウッド映画にでてくるカフェか美容室かと思いきや、果たして、これがケーブルカー乗り場でした。
 これほどあっけにとられたのは、この旅ではじめてのこと。乗り場が近未来的なら、ケーブルカーも近未来的。ナザレには明らかに似合いません。
 「…待てよ、この乗り場とケーブルカーがナザレに似合わないということは、やっぱりナザレはひなびた漁村なのかな?」

ケーブルカーケーブルカーからの眺め
↑【左】最新式のケーブルカー。  【右】↑ケーブルカーから見た景色。

 そんなことを考える間もなく、16:40ケーブルカーが発車。1人片道0.7ユーロ(98円)。このケーブルカー、最新式でとにかく窓が大きいので、徐々に小さくなっていくナザレの家々と人々を眺めるのにはとても好都合でした。

 ケーブルカーは、およそ5分で100メートル上のオ・シティオ地区に到着。
 ケーブルカーを降りてすぐ左が、展望台になっています。断崖絶壁から、ナザレのプライア地区、砂浜、大西洋が一望できました。

ナザレの絶景
↑16:48。「ああ、なんてきれい。」

 家々が夕日にそまって、白い壁がオレンジ色になっていきます。そして、大西洋にしずむ夕日。高い絶壁の上から眺めると、夕日はいちだんと美しく見えるのですね。

 少し歩き、メモリア礼拝堂の横にある展望台に移動。夕日の落ちるスピードは意外に早く、メモリア礼拝堂横の展望台に着いた頃には、もう水平線すれすれにまで、夕日が来ていました。

 17:06、夕日の下端が水平線に着き、4分ほどで、夕日が完全に水平線の下に隠れました。この夕日は、一生忘れないでしょう。この感動の説明は、文章ではなく写真に譲ります。

ナザレの絶景沈みゆく夕日
↑【左】16:52。  【右】16:53。↑

シティオ地区発見のモニュメント
↑【左】16:58。シティオ地区。  【右】17:07。↑

夕日夕日
↑【左】17:08。  【右】17:08。↑


↑17:10。

 紫色に染まりかける町の、メモリア礼拝堂と、ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会を見終わった頃には、おみやげ屋や干物屋のおばさんたちが店じまいの支度を始めていました。

ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会メモリア礼拝堂
↑【左】ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会。  【右】メモリア礼拝堂。↑

ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会メモリア大聖堂
↑【左】17:20。  【右】17:16。メモリア礼拝堂内のアズレージョ。↑

 17:25のケーブルカーで崖の下へ戻りました。

日没後メモリア大聖堂
↑【左】17:11。日没直後。  【右】17:29。ケーブルカー乗り場。↑

 プライア地区のおみやげ屋を数件回り、人形を購入。

 夕食をしようと、『地球の歩き方』に載っていたCasa O Pescadorというレストランに行ってみましたが、あまりにも地元客が多く、トランプしたりしていて入りづらい雰囲気だったので、18:10、オリベイラ広場のRESTAURANTE A LOTAという店に入りました。船のかたちの看板、モネールに似たウェイター兼コックさんが目印です。

プライア地区ア・ロタのメニュー
↑【左】プライア地区のライトアップ。  【右】A LOTAのメニュー。↑

 パン 1ユーロ(140円)
 サラーダ・デ・ポルヴォ(タコのマリネ) 3ユーロ(420円)
 クレメ・デ・マリシュコ(魚介クリームスープ) 1.5ユーロ(210円)
 ソーパ・デ・レグーメス(野菜スープ) 1ユーロ(140円)
 サルディーニャス・アサーダス(イワシの炭火焼) 5ユーロ(700円)
 VINHO CASA(ハウスワイン赤)375mL 3.5ユーロ(490円)
 合計 15ユーロ(2100円)

 パンは、バターとガーリックを塗って焼いてありました。
 タコのマリネは、タコとタマネギとオリーブを、オリーブオイルで絡めたもので、美味しかったですがポルトガルにしては量が少なめでした。
 スープは、■■はピリ辛のクレメ・デ・マリシュコが、●●はポテトベースのソーパ・デ・レグーメスがお気に入り。
 魚嫌いの■■が美味しく食べられるくらい、イワシの炭火焼は絶品でした。オリーブオイルが、意外と合います。
 ワインは赤で正解でした。イワシには白より赤が合うと思います。注文したワインのラベルには、VINHA DAS GARCASと書かれていました。

サルディーニャスアサーダス
↑サルディーニャス・アサーダス(イワシの炭火焼)1人前。

ワインア・ロタ
↑【左】ハウスワインは375mLのボトルで。  【右】A LOTA。↑

 ■■と●●が食事中、ポルトガル人のカップルが来店し、4人席のテーブルが他に何席も空いているのに、2人席に座ろうとしました。モネール似のウェイターが、こっちでいいよと4人席の広いテーブルへ案内したのでそちらに座りましたが、こういう控え目なところも、ポルトガル人の特徴だなーと思いました。

 19:40に、ホテル(Residencialアデガ・オセアーノ)に到着。最高の1日を思い出し、笑顔で入眠。

 ポルトガルは、日本人にとってはマイナーな観光地ですが、本当に素晴らしい。日本からよりも、他のヨーロッパ諸国からの観光客が多い理由が分かります。

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2004年12月06日

【6】 ナザレ → コインブラ

ナザレ NAZARE

 ナザレの朝。7:05には、まだほとんど暗いままでしたが、7:30になると薄い朝焼けが見られるようになりました。7:50を過ぎると、昨日ケーブルカーで登った岸壁(オ・シティオ地区)を、朝日が照らし始めます。

ナザレの海岸ナザレの海岸
↑【左】7:30。ナザレの朝。  【右】7:40。↑

波断崖絶壁
↑【左】7:42。  【右】7:52。朝日が崖を照らし始めました。↑

 ■■と●●は、ナザレの砂と石を拾い、空のペットボトルに入れました。最も安価で、最も美しいおみやげが手に入りました。

海岸の石
↑海岸の石。

崖上の朝日
↑7:59。プライア地区よりもひとあし早く朝を迎える、崖上のシティオ地区。

 9:00、mini preco(スーパーマーケット)に行き、缶ビールを購入。500mL缶が0.4ユーロ(56円)。独特の民族衣装を着たおばさんがスーパーで買い物をしている様子は、なんだかこっけいでした。

アデガ・オセアーノバスルーム
↑【左】泊まった宿、アデガ・オセアーノ。  【右】バスルーム。↑

路地断崖絶壁
↑【左】ナザレの路地。  【右】8:06。↑

子供のおもちゃ砂浜
↑【左】ナザレのカンガルー。  【右】9:54。本日も晴天です。↑

2005年に
↑2005 PASSAGEM DE ANO NAZAREと書かれたポスター。

ベンチ砂浜
↑【左】絵になるベンチ。  【右】大西洋と崖と青空。↑

ナザレのおばさんバス
↑【左】ナザレのおばさん。  【右】コインブラ行きのバス。↑

 今日は、10:50発ナザレのバスターミナル発でコインブラへ向かいます。
 レイリアで11:35から12:00まで停車。コインブラには12:50到着。今まで(シントラ→ロカ岬や、リスボン→ナザレ)よりも運転が荒くないバスの中で、■■は、自分の肌の具合がいいことに気付きました。日本にいるときは目の周りがカサついていましたが、今は大丈夫。ポルトガルの気候と水が肌に合っているのか、日頃のストレスから開放されたからなのか、どちらなのでしょうか…。

コインブラ COIMBRA

ポルトガル最古の大学都市

 コインブラのバスターミナルに、12:50到着。
 コインブラは、リスボンに比べると古いままの建造物が目立ち、老朽化した壁や屋根が哀愁をただよわせます。これが、俗に言う『サウダージ』なのでしょう。

 歩道はこの街も石畳なので、スーツケースを転がすのは非常に労力が要りました。途中に郵便局があったので、ロカ岬で書いた絵はがきを、遅ればせながら郵送。

 バスターミナルを出てすぐの通りを南南東へひたすら歩き、およそ15分。めぼしをつけておいた、Residenciaルーザ・アテナスというホテルに着きました。入り口から、32段の階段(上りです)。エレベーターはなし(!)。スーツケースをどうにか運びました。2人1泊30ユーロ(4200円)。朝食付き。VISAカードは使えませんでした。
 部屋は10畳程度+バス・トイレ。通りの見える角部屋・103号室。これ以上スーツケースを持ち上げなくてすんだのはラッキーでした。天井が2.5メートルくらいはあったでしょうか。アンティーク調の家具と、電気。バスタブつきですが、今までのホテルよりも浴槽が小さく、しかも浅かったです。

 13:40にルーザ・アテナスを出発し、昼食をとりにアデガ・パソ・ド・コンデというレストランに向かいました。地図によると、ルーザ・アテナスから徒歩1分ほどで着くはずです。しかし、『個人旅行』の地図に載っている場所まで行きましたが、店が見当たりません。通りすがりのおじさんに、「アデガ・パソ・ド・コンデ!」と尋ねたら、場所を教えてくれました。あとで調べたら、『地球の歩き方』には正しい場所が載っていました。

ルーザアテナスアデガ・パソ・ド・コンデ
↑【左】Residenciaルーザ・アテナス。  【右】アデガ・パソ・ド・コンデでランチ。↑

 『個人旅行』は、スペイン(2000年)やドイツ(2001年)を旅したときに利用し、掲載されているレストランは当たりが多くて、地図も見やすく、「使えるガイドブックだなー」という印象を持っていました。しかし、ポルトガルの『個人旅行』は、休業中のレストランが多く載っており、今回のように地図も間違っていたりして、少ししょぼい印象を受けました。
 それに比べ、今回の旅では『地球の歩き方』の情報の質・鮮度を再確認いたしました。
 さて、アデガ・パソ・ド・コンデ

 牛のステーキ(目玉焼きのせ)+フライドポテト+サラダ 4.35ユーロ
 ワイン・ラブラドール375mL 1.5ユーロ

 ワインは今回も赤を頼みました。ナザレで飲んだものよりも、甘さが控えめで、料理に合いました。コインブラ大学の教授(講師?)と思われる、白髪に白ヒゲの人たちが、3人で食事をとりながら資料のようなものを読んでいました。

 14:32、レストランを出発。この街は、教会ではなく大学が丘の上に建っているのです。さすが、パリ大学、ボローニャ大学、サラマンカ大学に並んで歴史のあるコインブラ大学。
 そのコインブラ大学を目指し、坂を登っていくと、路上駐車の車が多くとまっています。プジョーやオペルが多く、日本車も、トヨタとホンダはけっこうとまっていました。ちなみに、ホンダのFitは、ポルトガルではJazzという名前でした。

アルメディーナ門
↑アルメディーナ門。

ホンダJAZZワゴン車
↑【左】FITではなく、JAZZ。

 大学生にはたいてい英語が通じるので、道を尋ねるときなどに●●が活躍しました。
 いつもこの坂を登っているコインブラ大学の学生は、さぞ体力がついていることでしょう。途中、旧カテドラルを通り過ぎ、ようやく坂を登りきって、鉄の門をくぐり、中庭へ。中庭からは、モンデゴ川を含む、コインブラの風景を眺めることができました(リスボンに比べるとスケールは落ちますが)。

旧カテドラル鉄の門
↑【左】旧カテドラル。  【右】コインブラ大学、鉄の門。↑

路地
↑【左】旧カテドラル。  【右】コインブラ大学のテラス。↑

中庭
↑コインブラ大学の中庭から見た、ラテン回廊。

図書館図書館
↑【左】大きな図書館の門。  【右】絢爛豪華な図書館内部。↑

 コインブラ大学内は、観光客も入れるようになっています。このシーズンは観光客もまばらで、ほとんどが大学生でした。
 ラテン回廊を上がったところに、帽子の間と図書館のチケット売り場がありました。
 現在、帽子の間は見ることができず、図書館だけ見学ができると説明され、とりあえず、図書館のチケット(1人2.5ユーロ:350円)を購入。1724年に建てられた図書館で、金ぴかな図書館。天井は高く吹き抜けており、2階部分の本はどうやって取り出せばいいのかよく分かりません。豪華な図書館ですが、どことなく『サウダージ』を感じさせてくれました。

 コインブラ大学の観光者用トイレは、めずらしくチップが必要になっていました。もっとも、観光者用トイレのすぐ右に、学生用トイレがあるので、そちらに入ってしまえばチップは不要。

 その後、坂道を下り、フェレイラ・ボルジェス通りへ。コインブラ随一のショッピング・ストリートですが、特筆すべきお店は見当たりませんでした。洋服は、意外と高いです。

モンデゴ川コインブラ市街
↑【左】モンデゴ川とサンタ・クララ橋。  【右】ポルタジェン広場。↑

ジョアン3世の像サンタ・クルス修道院
↑【左】ジョアン3世の像。  【右】サンタ・クルス修道院。↑

修道院内のジオラマサンタ・クルス修道院
↑【左】修道院内のジオラマ。  【右】サンタ・クルス修道院。↑

 通りの終わりに、サンタ・クルス修道院があったので見学し、17:00を回ったところでいったんホテル(Residenciaルーザ・アテナス)に戻りました。身じたくを整えて、夕食を食べにホテルを再出発したのが、18:45。

路地
↑【左】いったんルーザ・アテナスに戻りました。  【右】O Convento。↑

 モンデゴ川の対岸にある、O Conventoというお店に行きました。『個人旅行』には最も高い料理が3ユーロと書いてありましたが、まるっきりのウソで、実際には1品5~10ユーロが相場でした。しかもVISAが使えない!

 EURO2004があって値上げをしたのかもしれませんが、ガイドブックならそのくらいのことは予想して、安易に値段を記載するようなことは避けてほしいと思いました。これなら、ホテルの近くで食事をしたほうがよかったです。

 しかも、店員は、ポルトガル人にしてはめずらしく愛想のない人で、しかも「それだけしか注文しないのかい?」と言わんばかりの冷たい視線を感じました。この感じの悪さは、リスボンのタクシー運転手以来!
 これ以上悪口を書きたくはありませんが、こういうことがあり、残念ながらコインブラという街自体の印象まで悪くなってしまいました。

 昨日の発見のモニュメントと、ナザレの夕日があまりにもすばらしかっただけに、余計そう感じたのかもしれません。

 帰り道、ライトアップも、少し地味。でも、橋の上から見る夜景は、やっぱりきれい。

夜景
↑サンタ・クララ橋から見た、丘の上のコインブラ大学。

夜景
↑モンデゴ川東岸。黄金の夜景。

 リスボンやナザレよりも寒く感じるのは、北に来たからでしょうか。それとも……。
 明日は、さらに北部へ向かう予定です。アヴェイロで途中下車するか、それとも直接ポルトに向かうか、まだ結論は出ていません。

 20:20ホテルに到着。バスタブが浅くて小さくて、あやうく風邪をひくところでした。
 暖房は、21:00にならないと、つきませんでした。むぅ。

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2004年12月07日

【7-a】 コインブラ → ポルト

コインブラ COIMBRA

 7:00起床。
 顔を洗ったあと、まず今日の予定について、話し合い。
 アヴェイロもすてきな町のようですが、アヴェイロ駅は無人で、町の中心まで1kmくらいあり、スーツケースをあずかってくれそうな場所もなさそうなので、現在いるコインブラから、ポルトへ直行することにしました。相談が終わりかけたころ、テレビのニュース番組で、FCポルトのウォーミングアップ風景が映し出されました。

 今日は、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグのグループリーグ第6戦の開催日。ポルトガルからは、FCポルトがディフェンディングチャンピオンとして参加しています。今日は、チェルシーとの大一番。ポルトはチェルシーに勝たないと、グループリーグ敗退が決定してしまうのです。

 ルーザ・アテナスの朝食は8:00からなので、朝食前に■■が駅へ行って電車の時刻を調べることにしました。その間に、●●はスーツケースの整理。●●は、整理整頓のプロ。いつでもどこでもきっちりの、しっかり屋さんです。
 Residenciaルーザ・アテナスからコインブラ駅までは、徒歩3分。バスターミナルよりはるかに近かったです。ホームの電光掲示板に『9:12 Reg P.CAMPANHA』と映し出されていました。ポルト・カンパニャン駅行きの電車が、9:12に出発するという意味だと思われましたが、100%の自信がないため、切符売り場の駅員に聞くことにしました。とは言え、英語もあまり得意でない■■は、どのように聞けばいいのか少し考えた後、メモ帳に下のように書いて駅員に見せました。

 Coimbra 9:12
  ↓
 Porto □:□

 すると駅員は、10:50だと教えてくれました。これで、9:12にコインブラ駅発ポルト行の電車があるという100%の確証が得られ、ひと安心。ついでに、切符も購入しました(1人7.9ユーロ:1100円)。
 このように、『視覚的構造化』は、海外旅行においてすばらしい武器となり得ます。■■のように英語(特にヒアリング)が苦手でも、頭とメモ帳を使うことで、ある程度のことはクリアーできてしまうものです。そして、こういうちょっとした経験の積み重ねが個人旅行の醍醐味だなーと実感。朝からちょっと得した気分♪

 Residenciaルーザ・アテナスに戻った■■は、さっそくこのことを●●に自慢。
 「さすが」とほめられて、さらにニコニコ。

 8:00になってすぐに食堂へ行きました。朝食は、コンチネンタル(パンとコーヒー、紅茶、ミルクのみ)。部屋は寒かったけれど、舌がやけどするくらい熱いコーヒーと紅茶で体が温まりました。ミルクをたっぷり入れるのが、流儀。
 食堂のおじさんが、なかなか愛嬌のある人でした。

 「ごちそうさまでした!」

 部屋に戻って、水道の蛇口をひねり、500mLのペットボトルに水道水を注ぎました。電車内で飲むための水を補充し、カバンの中へ。ポルトガルの水道水は、飲むことができます。
 そして、8:59にルーザ・アテナスをチェックアウト。32段の階段を降り、スーツケースを押して駅へ。

ルーザアテナスコインブラ駅
↑【左】Residenciaルーザ・アテナス。  【右】コインブラ駅。↑

 予定どおり、9:12の電車に乗り込み、ポルトに向かいました。電車内は、白・水色・オレンジ・赤の配色。乗客数は、座席数の1/2以下。

 10:10、アヴェイロ駅着。駅のアズレージョが美しいと評判なので、見てみたいと思っていたら、ちょうど■■と●●が乗っていた車両が、駅のアズレージョの真ん前に停車しました。ラッキー!
 わずか1分ほどの停車時間で、アズレージョを鑑賞し、カメラにおさめることができました。
 アヴェイロ駅に停車中、下水(汚水?)の匂いがしてきました。ここには立ち寄らなくてよかったかもしれません。

ポルト行き電車アベイロ駅
↑【左】ポルト行きの電車内。  【右】アズレージョが美しいアヴェイロ駅。↑

アベイロ駅インファンテ橋
↑【左】妙な匂いがただよってきました。  【右】ポルトのインファンテ橋。↑

 10:11、アヴェイロ駅発。

ポルト PORTO

ポルトガル建国の起源となった港湾都市

 10:55、ポルト・カンパニャン駅の9番ホーム(Lihna 9)に到着。
 目的の駅はポルト・サン・ベント駅なので、ホームにいた駅員に「サン・ベント?」とたずねると、「2番ホームだよ」と言われました。2番ホームに移動すると、電光掲示板に11:15発と表示されていたので、ホームでしばし待っていました。

 すると、11:12くらいになって、それまで2番ホームで電車を待っていた人たちがみんな早足でホームを降りだしました。場内アナウンスで、サン・ベント駅行きの電車の到着ホームが変更になった旨を放送したみたいです。もちろん、■■たちは、どのホームに行けばいいのか分かりません。立ち尽くしていると、2番ホームにいたおじさんが「サン・ベント?」とたずねてくれました。■■が「サン・ベント!」と答えると、おじさんは『おれについて来い!』みたいな感じで■■と●●を導き、4番ホームへ。4番ホームに来た電車にぎりぎりで乗ることができました。ポルトガル人の優しさに、また触れることができた一瞬でした。

カンパニャン駅サン・ベント駅
↑【左】ポルト・カンパニャン駅で乗り継ぎ。  【右】ポルト・サン・ベント駅に到着。↑

 11:20、無事にポルト・サン・ベント駅到着。入口ホールのアズレージョは、若干色あせていますが、かなりのスケールでした。「すごいねー」と感動。そして、入口ホールの天井に書かれた『MINHO(ミーニョ)』という文字。この言葉の響きのかわいらしさに、●●はニコニコ。

サン・ベント駅アズレージョ
↑【左】サン・ベント駅ホールの天井は、かなりの高さ。

サン・ベント駅
↑サン・ベント駅入口ホールの、大きな美しいアズレージョ。

 宿は、やはり『地球の歩き方』『個人旅行』に掲載されている、Pensaoパウリスタを第1候補として、そこへ向かいました。スーツケースを押しながら、北へ15分ほど坂を登ると、目立たないところにPensaoパウリスタの入口がありました。(ガイドブックの地図でみると、鋭角の角地の頂点にあるように見えますが、実際はアリアドス通りに面して入口があるので、実際に行かれる人はご注意を。)
 ここはエレベーターがあり、フロントの女性(フィギュアスケート・ロシア代表のスルツカヤ似でした)は英語が堪能で、●●との交渉はスムーズに進みました。

パウリスタ入口パウリスタ301号室
↑【左】Pensaoパウリスタの入口。  【右】301号室。↑

 2人1泊朝食付き、30ユーロ(4200円)。VISAカードOK。ストリート側の301号室。窓からは、市庁舎や、建設中のメトロ駅が見えました。この部屋に決めて、12:10出発。

 まず、インフォメーションに行って、今日の試合【FCポルトvsチェルシー】について聞きました。試合開始は19:45。スタジアムへのアクセス法はメトロ。最近開通したメトロでドラゴン・スタジアム駅まで行くと、ドラゴン・スタジアム(FCポルトのホームスタジアム)で当日券がたぶん買えると言われました。
 チャンピオンズリーグの大一番、昨年の優勝チームとベスト4のチームとの対戦で、しかも明日は祝日(12月8日は聖母懐胎祭)なのに、本当に当日券が買えるのか、少し心配でしたが、こんなビッグゲームを生で見れる機会はそうそうありません。夜、スタジアムに行くだけ行ってみたいという■■のわがままに、●●がこころよく付き合ってくれることになりました。

 さて、そろそろ現金が減ってきたので、ポルトガルで初めての両替を行うことにしました(チャンピオンズリーグの当日券が買えたら、かなりの出費が予想されますので…)。
 両替所(CAMBIO)を2件見て、レートのいいほうで両替をしようと思っていたら、レートのいいほうの両替所がお昼休みになってしまいました。しかし、中をのぞいていたら、鍵を開けてくれて両替をしてくれました。パウリスタから徒歩1分のところにあるこの両替所のレートは、【10,000円→71ユーロ】。両替手数料は無料。25,000円を177.5ユーロに両替しました。

 『両替所』という単語は、CAMBIO。これは一般に良く知られていますし、たいていCHANGEと英語で言っても通じるので、問題はありません。ただ、とっさに『両替手数料はいくらですか?』と聞きたいときに単語が出てこないと困るので、『両替手数料』という単語は覚えておくとよいでしょう。
 ポルトガル語で、『両替手数料 = Comision(コミシオン)』です。

 コインブラの人が少し冷たい印象だったので、北部に行くほどそうなるのかと思っていたら、カンパニャン駅のおじさんといい、この両替所の人といい、ポルトの人はとても優しかったです。
 そして、このあとのいろいろな体験で、■■と●●は、更にポルトがお気に入りの街になっていきます。

 「そろそろおなかが減ってきたね」と言いながらアリアドス通りを南に下りていくと、CAFE ALIANCAがありました。

CAFE ALIANCA
↑地元客が軽食をとるCAFE ALIANCA。市庁舎を描いたアズレージョが店の中央に。

 Outros Artigos(豚肉のカツサンド)1.3ユーロ(182円)
 Pastelalia(ロールケーキ)0.55ユーロ(77円)
 Meia de Leite(カフェオレ)0.7ユーロ(98円)

 店内には、市庁舎を描いたアズレージョがあり、大衆に根付いた文化のいとおしさを感じさせてくれました。サン・ベント駅のアズレージョも美しいですが、この店のアズレージョもそれに劣らぬ素晴らしさがあります。

軽めにランチクレゴリス教会を写生
↑【左】CAFE ALIANCAで軽めのランチ。  【右】クレゴリス教会を写生する若者。↑

クレゴリス教会とある像
↑【左】クレゴリス教会。  【右】とある広場の像。↑

 食事のあと、クレリゴス教会へ。教会を写生する若者の姿がありました。
 洋服屋(安い服が多かったです)、雑貨屋、おみやげ屋、財布屋など、おもしろいお店が多く、物価はリスボンに比べて安め。

 「ポルトはいい街だね!」
 「奥が深いね!」

 なかでも、中国人経営の財布屋では、2.5ユーロから5ユーロ程度の激安財布や手帳が売っていて、●●のハートをつかみました。

 14:30に財布屋を出て、ドンルイスI世橋の方向へ向かいました。

サンタクロースポルトの街並み
↑【左】クリスマスはもうすぐ。  【右】クレゴリス教会近くからの眺め。↑

カテドラル
↑遠くに見えるのがカテドラル。

下町おばさん
↑【左】下町の洗濯物。  【右】おばさんに道をたずねました。↑

 ポルトも、リスボン、コインブラと同様に、坂の多い街。しかも、まるで迷路のよう。地図を見ていてもかなり迷い、結局道行く人に「ドンルイス?」とたずね、指差す方向へ進むことに。地図を見てもこんなに道が分からなくなってしまう街は、■■はあまり経験がありません。今日はまだアルコールも飲んでいないのですが…。むしろ、●●のほうがこの街の土地勘に優れていました。

 教えてもらった方向へ歩いていくと、カイス・ダ・リベイラに出ました。ここは、ドウロ川北岸(右岸)沿いの、観光レストランが並ぶ一角です。イギリスから来たチェルシーのサポーターが、ここで大挙してビールを飲んで歌を歌っていました。グループリーグ突破をすでに決めているだけあって、余裕の宴という感じ。
 ここから眺めるドン・ルイスI世橋は、残念ながら工事中でした(補強をするために骨組みで覆われていました)が、渡ることは可能。

カイス・ダ・リベイラドン・ルイスI世橋
↑【左】カイス・ダ・リベイラをチェルシーのサポーターが占拠。  【右】ドン・ルイスI世橋。↑

カテドラル
↑ドン・ルイスI世橋は、残念ながら工事中。

 これまでにジェロニモス修道院をはじめ、立派な教会の類(たぐい)はたくさん観てきたので、北岸のカテドラル、ボルサ宮、サン・フランシスコ教会などはパスし、今日は『ポルトならではの楽しみ』を味わいに、ドン・ルイスI世橋を渡ってドウロ川の南岸(左岸)へ行くことにしました。

 南岸から見る北岸は、非常に美しかったです。さすが、世界遺産に指定されているポルト歴史地区!
そして、この南岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアという地区へ。この地区にはワイン工場が集まっていて、工場を訪ねるとポルトワインが試飲できるのです。これぞ、『ポルトならではの楽しみ』。日本では、ポートワイン、ポルト酒などと呼ばれることもあるポルトワインは、マデイラワイン、シェリーと並んで、世界の3大酒精強化ワインの1つです。酒精強化ワインとは、発酵途中のワインにグレープ・ブランデーを加える独自の製法のワインのことを指し、複雑で濃厚なな味わいが特徴とされています。

 ドンルイスI世橋を渡って右(川の下流のほう)へ歩くとすぐに、CALEMというワイン会社の工場がありました。早速入ってみると、「15:00からスペイン語の工場内ツアーがあります」と案内の女性に言われました。費用は1人2ユーロ(280円)。
 ■■はここで飛びつこうとしましたが、●●はインフォメーションで情報を得ようと言い、CALEMを出て、さらに歩くこと3分。インフォメーションがありました。それほど大きくない区域の中に、インフォメーションが点在しており、ポルトの街は旅行者にとても優しいです。
 ここのインフォメーションでは、ワイン工場(全部で19ヶ所)の所在地を示した地図をくれました。しかも、見学が有料のワイン工場(5ヶ所)に、○をつけてくれました。つまり、(当たり前ですが)残りの14ヶ所のワイン工場は、無料というわけです。そのかわり、見学が無料のワイン工場は、ドウロ川沿いではなく少し坂道を登ったところにあるようですが、坂道歩きは■■と●●の望むところ!

 「CALEMのツアーに参加しないでよかったねー。」
 「でしょ♪」

 2人は、CROFTTAYLOR'Sという2つのワイン工場をたずねました。

 最初に訪れたCROFTは、■■と●●を含めた6人組でツアーに。●●は、ワインの匂いが充満しているワイン蔵内にいるだけで、顔が赤くなってしまいました。ガイドさんが、ポルトワインができるまでの行程の説明を懇切丁寧に約20分間して、そのあとに試飲タイムになりました。CROFTの赤ポルトワインは、フルーティーで甘かったです。

坂道を登っていくとクロフト
↑【左】坂道を登っていくと…。  【右】CROFTのポルトワイン工場に到着。↑

ワイン工場ワイン飲み場
↑【左】ワイン工場内ツアー(無料)に参加。  【右】ここで試飲しました。↑

ワイン樽ポルトワイン
↑【左】CROFT。  【右】試飲タイム。↑

カテドラル
↑インフォメーションでもらった、ワイン工場マップ(○印は見学が有料の工場)。

 そのあとに訪れたTAYLOR'Sは、よく手入れされた中庭に、孔雀(くじゃく)がいたりして、なにやら豪華。さすが、創業から300年以上の老舗。海外で孔雀を見たのは、ストックホルムのスカンセンに続いて2回目です。
 さて、TAYLOR'Sでは、まず初めに樽型のテーブルに案内され、着席したあとさっそくポルトワインを試飲させてくれました。しかも、白ポルトと、赤ポルトの両方! おまけに日本語版の『ポルトワイン読本』をくれました。きれいな冊子で、少なくとも英語の説明を受けるよりも遥かに勉強になりました。
 TAYLOR'Sは、座っている客を、ガイドが「ツアーに行きませんか?」と誘う形式のようでした。■■と●●も例にもれず、陽気なガイドに「英語のツアーに行きませんか?」と誘われましたが、意味がよく分からなかった■■が、「ジャパニーズツアーは?」と聞き返したら、「あいにく日本語ツアーはないわ♪」と笑いながら去っていきました。■■は、ポルトワインを飲めればそれで満足なので、結果的にはジョークでうまくツアーを断ったかたちになり、ラッキーでした。
 TAYLOR'Sのポルトワインは、なんだか高貴な味がしました。

看板大看板
↑【左】TAYLOR'Sは右のようです。  【右】TAYLOR'Sに到着。↑

TAYLOR'Sの中庭テイラーズの飲み場
↑【左】TAYLOR'Sの中庭。  【右】ワイン試飲はここで。↑。

ワイン紹介面白い天井
↑【左】ラベルを見せたあと、グラスに。  【右】面白い天井。まるでサーカス小屋。↑

ポルトワイン歴史地区
↑【左】高貴なポルトワイン。  【右】歴史地区の美しい夕暮れ。↑

 結論:ポルトワインの試飲なら、TAYLOR'Sがおすすめ! (ツアーに参加する・しないは好みですが、日本語冊子がもらえるのは大きなメリットです!しかも無料!:2004年12月現在)

 16:20、TAYLOR'Sに別れを告げ、徒歩でPensaoパウリスタのほうへ戻りました。その帰り道、よさそうなレストランを探しましたが、なかなか見つかりません。
 焦りかけたときに、アリアドス通りの85番地(Pensaoパウリスタから徒歩2分くらいのところ)に、CAFE GUARANYというおしゃれなお店があったので、入ることにしました。

ドンルイスI世橋CAFE GUARANY
↑【左】工事中のドン・ルイスI世橋。  【右】CAFE GUARANYのピアノ演奏。↑

上品な夕食
CAFE GUARANYの日替わりディナー。↑

 火曜日の日替わりディナー、以下の2品をオーダーしました。

 ボロネーゼ・スパゲティ 6.25ユーロ(875円)
 フィレット&シュリンプライス 8.75ユーロ(1225円)

 お店に入ったのは17:30でしたが、店内は7割がたの席がうまっていました。ただし、がっちりと食事をとろうとしているのは、■■と●●くらい。あとはみんな、紅茶かコーヒーを飲みながら軽食を口にしているポルトガル人ばかり。
 照明は明るく、テーブルから食器からウェイトレスから、スタイリッシュでおしゃれ。そして、ジーパン&メガネのお兄さんが生ピアノ演奏していて、これが格好に似合わずものすごく上手でした。まぁ、ラフな格好をしていて演奏も下手だったら、「なんだコイツは?」という話になってしまうでしょうから、こういう格好をしているということは、腕に自信があり、店もそれを認めているということなのでしょう。
 他のポルトガルの一般的なレストランはパンが別料金ですが、この店はパンが無料(と言うか、食事代に含まれている)でした。

 さぁ、腹ごしらえのあとは、ドラゴン・スタジアムでチャンピオンズリーグの観戦です(【7-b】に続きます)。

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【7-b】 ポルト (ドラゴンスタジアム)

ポルト PORTO

 ポルトガル人は、3つのFに熱中するといわれています。
 それは、ファド、ファティマ、そしてフットボール。
 さあ、ドラゴンスタジアムに向かって出発!

ポルト市庁舎市庁舎下のキリスト像
↑【左】ライトアップされた市庁舎。  【右】キリストたちの等身大像。↑

 18:30に食事を終え、メトロの駅へ向かう途中、ライトアップされた市庁舎を間近で見ました。市庁舎前の広場に、キリストや羊などをモチーフにした等身大の像が飾ってありました。こういうものを小さい頃から見ていると、きっと敬謙なカトリック教徒になれるのでしょう。

 18:45、メトロのボリャオン駅(Bolhao)に到着。今年完成しただけあって、新しいイデタチの駅。乗車切符の自動券売機には、かなりの人数が並んでいました。みんなこれからドラゴン・スタジアムへ行くのでしょう。歌っているチェルシー・サポーターもいましたが、特にポルトガル人ともめる様子はありませんでした。券売機の横には、券売機の使い方を説明してくれるスタッフが立っていて、「ドラゴン、2 Way(往復)、2 People」と伝えると、ボタンをパッパッパッと押してくれました。乗車切符は、リスボンの『7 Colinas』と同様のカードで、一見ただの厚紙ですが、かざすだけでゲートを通れる優れモノ。その名は『Andante』。1人往復2.1ユーロ(294円)。

メトロ・ボリャオン駅アベイロ駅
↑【左】新設メトロ、ボリャオン駅の入口。  【右】駅ホームは大混雑。↑

 メトロは今年開通したばかりのようで、まだ『地球の歩き方』の地図にも載っていませんが、インフォメーションでもらった地図にはメトロ駅がきちんと掲載されていました。インフォメーションを使いこなしてこそ、個人旅行の幅が広がると、再認識。

メトロは、ほぼ2分おきに運行していましたが、いかんせん車両が短い(2両しかない)ので、ぎゅうぎゅうのスシ詰め状態。19:00にボリャオン駅発で、4つ目のドラゴン・スタジアム駅(Estadio Do Dragao)まで、ひたすら我慢。そして、ドラゴン・スタジアム駅はメトロの終点なので、乗客全員が、溢れた水のように出口へ向かいます。
 「こんなに混んでいて、果たして当日券なんてあるんだろうか?」

 メトロの出口を出て本当にすぐあったスタジアム。そしてチケット売り場もすぐみつかりました。チケット売り場のすぐ前に、ダフ屋がいて話しかけてきましたが、とりあえず無視。

 チケット売り場の窓口で聞くと、まだ当日券があるとのこと!試合開始30分前でしたが、無事に当日券を購入できました!
 バックスタンド前列の端が、1枚50ユーロ(7,000円)。マスターカードがスポンサーなのに、なぜかクレジットカードは使えないと言われ、現金で購入。100ユーロが、■■の夢と交換になりました。
 「さぁ、興奮してきたぞ~」という■■に水を差すかのように、入場時の荷物チェックがけっこう厳しく、カバンの中に入れておいたパンを、「ここで食べるか捨てるかしなさい」と言われてしまい、捨てることに。なぜパンを持ち込んではいけないのでしょうか??
 それでも気を取り直して、スタジアム内へ。 ■■と●●の席は、前から3列目でした。

チケット売り場スタジアム内のショップ
↑【左】当日券を購入。  【右】スタジアム内にある、ナイキのグッズショップ。↑

 白い壁・青い座席・緑のピッチのスタジアムと、白青のサポーター。日本にいるときには気付きませんでしたが、アズレージョを連想させるカラーです。これぞハート・オブ・ポルトガル!
 そして、『CAMPEAO EUROPEU 2003-2004』と書かれた、2003-2004シーズンのチャンピオンズリーグ優勝旗がゴール裏スタンドに飾られていました。

スタジアム内のショップバックスタンド
↑【左】スタジアム内にある、グッズショップ。  【右】満員のバックスタンド。↑

ゴール裏サポーター
↑ヒートアップする、総立ちのゴール裏サポーター。

 早くもヒートアップしているポルト・サポーター。チェルシーのスタメン発表が終わり、ちょうどポルトのスタメンが発表されるところでした。

 ジョルジュ・コスタ、コスティーニャ、マニシェ、ジエゴ、デルレイ、マッカーシー、ファビアーノ……。
 GKビトール・バイアは残念ながら怪我のため不出場でしたが、特に中盤から前線にかけては一流のメンバーがそろっています。

 チャンピオンズリーグの定番、星模様のサッカーボールがグラウンドに現れ、チャンピオンズリーグのテーマ曲(Hymn)がスタジアムに流れました。この荘厳な曲は、歴史の証人になることが許された者に贈られる偉大なプレゼントです。

昨年の優勝旗チャンピオンズリーグのサッカーボール
↑【左】昨シーズン優勝の証。  【右】星模様のボールを創る人たち。↑

優勝旗
↑昨季のチャンピンであることを示す旗、CANPEAO EUROPEU 2003-2004。

 さぁ、19:45、運命のキックオフ!(他のヨーロッパ諸国では20:45キックオフですが、ポルトガルは1時間の時差を持っています)
 スタンドの最前列で、15歳くらいの子供が立ったまま観戦をしていました。おそらく興奮しているのでしょう。うしろのほうのおじさんが優しい声で注意すると(おそらく「後ろの人が見えないよ」とか「座りなさい」という意味の言葉)、その子供は申し訳なさそうに座りました。和やかで微笑ましい雰囲気のスタジアム。

 前半34分、ダミアン・ダフのミドルシュートが決まり、チェルシーが先制!
 物々しいブーイングが起こります。
 そしてFCポルトサポーターのブーイングは、効果的な攻撃参加ができない左サイドバックのアレイアスに向けられるようになってきました。逆に、昨年までFCポルトに在籍していたパウロ・フェレイラとリカルド・カルバーリョに対しては、必要以上のブーイングを浴びせません。ここら辺は、スマート。


↑FCポルトディフェンス陣が奮闘。

マッカーシー
↑【左】前半40分。ポルトの攻撃。  【右】ドログバとランパードのパス交換。↑


↑迫力あるローアングル。

 そして、前半終了。
 底冷えするスタジアム。気温は5℃くらいでしょう。

ハーフタイムハーフタイム
↑【左】タバコを吸う人が多いハーフタイム。  【右】怪訝な表情のサポーター。↑

 ハーフタイム、ポルトサポーターを鼓舞するかのように、昨年のチャンピオンズリーグ決勝戦、FCポルト vs ASモナコ戦が、ドラゴンのオーロラビジョンに映し出されました。ドキュメント調で、感動を誘うような造りのVTR。しかし、モウリーニョ(←昨期までFCポルトの監督をやっていたが、現在チェルシーの監督)のガッツポーズは、あまりにも縁起が悪すぎます。
 いまいち盛り上がらなかった前半戦のあとに、こんな映像を見せられて、スタンドは逆に険悪なムードになるのでは?!…と思いましたが、実際には映像が終わったあとにスタンドから大きな拍手がおこりました。静かに燃えるポルトサポーター。まだまだあきらめていないようです。

 そして、このあと大事件が!

 なんと、■■と●●がオーロラビジョンに映し出されたのです!!
 しかも、完全なる2ショット。どアップです!手を振って答えました。イタリアやスペインではかなりの日本人観光客がサッカーを観戦するようになりましたが、ポルトガルでサッカーを観る日本人はまだ少数でめずらしかったようです。
 ビデオカメラマンは、映し終えたあとに、■■と●●に笑顔で手を振ってくれました。
 さーあ、個人的にもすごく盛り上がって、後半戦へ!!

カメラマン
↑【左】左のカメラマンが、ハーフタイムに■■と●●を映してくれました!


↑バックスタンドのポルトサポーター。

 栄冠を手にした逞(たくま)しいポルトのイレブン。対するチェルシーも、マケレレはお休みでしたが、その他はほぼベストメンバー。22人の戦士がピッチに入り、後半戦がスタート。


↑チェルシーMF・ランパードのコーナーキック。

チェルシー一人転倒
↑プレーが途切れたとき。

 後半15分、ポルトの新戦力、ジエゴのダイレクト・ミドルボレーがチェルシーゴールに突き刺さり、1-1の同点!ユニフォームを脱いで喜ぶジエゴ。ドワーーーッと沸くスタンド。
 特別な試合ならではの特別な雰囲気に満ちた試合は、これでふりだしに。

 そして後半41分、クァレスマのセンタリングから、マッカーシーが打点の高いヘディングシュート!これが決まり、ポルトが逆転!

逆転直後のスタンド
↑マッカーシーの逆転ゴールが決まった直後のスタンド。

 絵に書いたような展開で、FCポルトが2-1の逆転勝利! これで、FCポルトはグループリーグ突破が決定。ポルトサポーターにとって最高のかたちで、終止符が打たれました。

ドラゴンスタジアム
↑試合後のドラゴンスタジアム。

  帰りのメトロ内では、サポーターが大盛り上がりでした。今日の勝利は、モウリーニョやリカルド・カルバーリョを過剰に意識せず、ものものしくはあるけれど、殺伐とはしない空気を作りあげたポルトサポーターの勝利でもあります。

ドラゴンスタジアムチケット
↑【左】素晴らしい試合に感動。  【右】チケットとメトロの切符。↑

 「おめでとう、ポルト!」

 メトロで、ボリャオン駅まで戻り、そこから徒歩で10分。23:00にPensaoパウリスタ到着。さすがに疲れ、ベッドで横になっていると、窓の外から「ポルト~!!」と叫ぶ声がちらちらと聞こえてきました。

 「疲れた~。」

 一眠りしたあと、深夜4:00くらいにお風呂に入ろうとしたら、お湯が出ないというハプニングが。
 フロントに電話しましたが、フロントにいたのは、英語が全くしゃべれないおじさん(昼間の人とは違う)で、こちらの言うことが何も通じませんでした。これには困りました…。

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2004年12月08日

【8】 ポルト

ポルト PORTO

 12月8日は、聖母懐胎祭。ポルトガル国民の祝日です。
 ■■と●●の旅行は、今日が6日目。観光できるのは全部で10日間なので、今日からこの旅の後半になります。

 「今日、ヴィアナ・ド・カステロ行く?」
 「ガイドブックを読んだけど、それほど魅力がないね。教会と山がメインだし。」
 「ポルトでショッピングしようか?」
 「いいね~♪」

 ポルトより更に北部に、バルセロス、ブラガ、ヴィアナ・ド・カステロ、ギマランイスなど、そこそこ見どころがある都市が点在しています。その中で、なんとなく行ってみたいなーと思っていたのが、ポルトから70km北にある、ヴィアナ・ド・カステロ。しかし、見どころは、カテドラルと、サンタルジア山からの眺望。これらは、今までにリスボンやコインブラで行った見どころと大差がないように思われたので、今日は予定を変更し、ポルトでのんびりとショッピングをすることにしました。
 そう、■■と●●は、すっかりポルトの街を気に入ってしまっていたのです。

 7:10、Pensaoパウリスタの朝食。深夜に電話したフロントのおじさんが、温めたミルクとコーヒーを持ってきてくれました。ホットミルクにココアの粉を入れると、あっという間に溶けてミルクココアのできあがり。当日の朝に届くパンと、マーマレード。ここもシンプルな朝食でした。
 テレビのニュース番組で、昨日の試合のハイライトがくり返し放送されていました。ポルトガルでは、日本のニュース番組に比べ、サッカーのハイライトがかなり長めでした。ジエゴのボレーは美しく、敗戦の弁を語るモウリーニョ監督はとても情けない表情。ポルトはグループリーグ2位で、めでたく決勝トーナメント進出決定。

パウリスタの朝食ジエゴ
↑【左】パウリスタの朝食。  【右】ニュース番組。昨日の試合のハイライト。↑

ジエゴドログバ
↑【左】スポーツ新聞。同点ゴールのジエゴ。  【右】チェルシーのドログバ。↑

 9:00にPensaoを出発。まず、昨日の観戦記念にキオスクでスポーツ新聞(A BOLA誌:0.65ユーロ:90円)を買い、それから宿から徒歩7分のところにある好立地、ヴィア・カタリーナ(Via Catarina)というデパートへ。ここは10:00オープンでした。100軒ほどの店舗が入っており、SMILE(雑貨屋)でサンタクロースの人形などのおみやげを購入。

パウリスタ雑貨屋SMILE
↑【左】Pensaoパウリスタの入口。  【右】雑貨屋 SMILE。↑
雑貨屋AMILE
↑クリスマスシーズンなので、SMILEにはいろいろな種類のサンタが。

 その他、H&M(洋服屋)でバッグ、Modelo Bonjour(スーパーマーケット)でワイン(Vinho Verde 3.9ユーロ:540円)を購入しました。

ヴィア・カタリーナ3階歩行者天国
↑【左】ヴィア・カタリーナ3階。  【右】メトロ・ボリャオン駅近くの歩行者天国。↑

 そうこうしているうちに、昼どきになりまし。ヴィア・カタリーナからわずか100メートルのところにあるカフェに入り、アップルパイ(0.5ユーロ:70円)とシナモンのパン(0.5ユーロ:70円)、そしてビールSUPER BOCK(0.8ユーロ:110円)を注文。1階席が満席なので、2階へ。にぎわっているのがうなずける値段と味でした。

 午後は、ポルト最大のショッピングセンター、ノルテ・ショッピング(NORTE SHOPPING)へ行くことに。
ボリャオン駅からメトロに乗り、ドラゴン・スタジアム駅とは逆方向(西)へ。8駅目のセテ・ビカス駅で下車すると、かなり郊外。新しいマンションが建ち並んでいます。親子連れにノルテ・ショッピングの場所をたずね、行ってみてびっくり。

 ベルリンのアルカーデンの、5倍はあろうかという広さ。しかも、きれいで新しく、1周するだけで疲れてしまいそう。更に、祝日のため、人・人・人!しかし、ショップはファッション中心で、雑貨屋はほとんどみあたりませんでした。人ごみは、体力を奪います。
 15:30レストラン街で、ソーセージとベーコンをチーズでくるんだブリトーのようなもの(4ユーロ:560円)を食べて、帰ることに。

ノルテ・ショッピングメトロ
↑【左】巨大なノルテ・ショッピング。  【右】低床型メトロは地上も走ります。↑

 ボリャオン駅で下車して、歩行者天国(ヴィア・カタリーナに面した道路)を歩いていると、学生がマントを着て歌を歌っていました。これが学生のファドでしょう。
 ファドというと、女王・アマリア・ロドリゲスに代表されるように、『悲痛な歌声と流れるようなメロディーの、暗い歌』を連想されると思います。しかし、ファドには、おばさんが歌う悲しげなもののほかに、学生が歌う明るいファドもあるのです。

ファド
祭日(聖母懐胎祭)のため、学生が歩行者天国でファドを歌っていました↑。

 16:30にパウリスタに戻り、ヴィア・カタリーナで買ったワインを部屋で飲みました。窓から市庁舎が見えます。優雅な時間。

スニーカーユニットバス
↑【左】旅行はスニーカーに限ります。  【右】301号室のユニットバス。↑

 19:10にパウリスタを出発し、セントラル・ドス・クレリゴスというレストランで夕食。名前のとおり、クレリゴス教会のそばにあるレストランです。

 カルド・ヴェルデ(青キャベツのスープ) 1ユーロ(140円)
 チキンの炭火焼1/2(フライドポテト付き) 3.5ユーロ(490円)
 ハウスワイン375mL(Vinho Verde) 1.8ユーロ(250円)

クレゴリスクレゴリス
↑【左】よく冷えたVinho Verde。  【右】付け合せのポテト。↑

料理クレゴリス店内
↑【左】チキンの炭火焼。  【右】セントラル・ドス・クレゴリスの店内。↑

 レアル vs ローマのチャンピオンズリーグ中継に夢中だった店員は愛想がよく、安くて美味でした。

 20:30、ホテルに戻りました。夜道はさすがに冷えます。とは言っても、昨日よりだいぶ早い帰りでしたが。

夜のポルト夜のポルト
↑【左】夜のポルト。  【右】幻想的にライトアップされた彫刻。↑

 明日は、電車でリスボンにもどり、そこからバスでエヴォラに行く予定。
 夜行バス()を利用してポルトからエヴォラまで行くプランも一案として考えていたのですが、日程的にそれほど時間を節約しなくても大丈夫なこと、バスの運転が荒いこと、体調をくずすおそれがあることなどを理由に、その案は却下されました。

アート・オブ・アマリア・ロドリゲス

2004年12月09日

【9】 ポルト → リスボン → カルダス → オビドス

ポルト PORTO

ポルトガル建国の起源となった港湾都市

 Pensaoパウリスタで迎えた2日目の朝。6:35、起床。7:00に朝食に行くと、フロントのおじさんに「朝食は7:30から。」と言われました。でも、このおじさんは昨日7:00に朝食を用意してくれたおじさんと同一人物。なんでだろうと思いつつ、フロントの前でねばっていると、7:13にミルクとカフェが沸いて、朝食タイム。

 そして、7:55にPENSAOパウリスタをチェックアウトして、ポルト・サン・ベント駅へ向かいました。朝のアリアドス通りは、この旅いちばんの冷え込みでした。どこもかしこも石畳ですが、駅まで下り坂なのでスーツケースを運ぶ足取りが軽やか。

 ポルト・サン・ベント駅で、リスボン行きの切符を購入。ICなので、VISAカードで購入できました。運賃1人16.6ユーロ(2320円)。

ポスト横の像電車内
↑【左】ポルトとお別れ。  【右】カンパニャン駅までの電車。↑

 8:20、ポルト・サン・ベント駅発。8:25にポルト・カンパニャン駅で下車しました。ここからリスボン行きの電車は、9:10発。それまで、暖房の効いた待合室で待つことに。

 今日は、電車でリスボンにもどり、そこからバスでエヴォラに行く予定でした。
 「でも、9:10発の電車に乗ると、リスボンに到着するのは12:45だね。そこからエヴォラに行くと、もう夕方になってしまうよ。」
 「今日は、リスボンに戻ったあと、オビドスに行くことにしようか。オビドスは小さい町(村)だし、エヴォラよりも近いから。」
 「そうしよう!」
 …こんな具合で、プランを変更。この旅行もすでに7日目。■■も●●も、だいぶ個人旅行慣れしてきました。

 相談をしているうちに時間が過ぎ、お気に入りのポルトに別れを告げる時間になりました。電車は、予定どおりポルト・カンパニャン駅を9:10に出発。すぐにドナ・マリア・ピア橋という橋を渡り、ドウロ川を越える電車。車窓から、見える朝のドウロ川は、霧に包まれていました。

リスボン行きの急行霧のポルト
↑【左】リスボン行きの急行。  【右】霧に包まれた朝のポルト。↑

橋からの眺め電車内
↑【左】ドウロ川に霧が立ちこめていました。  【右】リスボン行きの特急内。↑

 座席指定があるのを知らなかったので、適当な席に座っていたら、電車が進むにつれて徐々に混んできたので、自分たちの席に移りました。コインブラ→ポルトの電車はすいていたので安心していたのですが、ポルト→リスボンの電車はほぼ満員。進行方向と逆向きに座る席だったので、すこし落ち着かなかったです。
 ちなみにポルト・リスボン間は、kenさんのBlog・Pastelaria Azulによると、東京・名古屋間と同じくらいの距離(340km)らしいです。

リスボン LISBOA

 ■■と●●は、リスボンに着いたらまず、11日と12日に宿泊する予定のHOTELベルナにスーツケースを預け、それからオビドスに向かう予定です。なので、まずは電車でエントレカンポス駅まで向かわねばなりません。しかし、今乗っている電車は、リスボン・サンタ・アポローニア駅行きなので、エントレカンポス駅には停まりません。

 「終点のサンタ・アポローニア駅まで行ってからローカル線に乗り換えるのがいいのかな、それとも別の駅で降りたほうがいいのかな?」

 車掌が歩いてきたので、■■が「エンテロカンポス?」とたずねると、「リスボン・オリエンテ駅で降りなさい」と教えてくれました。勘違いして、エントレカンポスでなく、エンテロカンポスだと思っていましたが、意外に通じるものです。

リスボン・オリエンテ駅
↑1998年リスボン万博会場の最寄り駅だった、オリエンテ駅。

天井オリエンテ駅から見たビル
↑【左】オリエンテ駅。  【右】オリエンテ駅から見えた高層ビル。↑

 12:38に、リスボン・オリエンテ駅着で、下車。ローカル路線に乗り換えて、5駅目でエントレカンポス駅着。
 そして、HOTELベルナに行って、スーツケースを預かってもらいました。ここは、バゲージルームにきちんと鍵をかけているので、荷物を安心して預けられました。これで、もうこの重たいスーツケースを旅行中に運ぶことはありません。
 「あー、よかった。」
 「意外にスーツケースをたくさん運ばなくてすんだね。」

 オビドスへ行く方法は、2つ。

 1つは、メトロでカンポ・グランデ駅まで行き、カンポ・グランデ駅前のバスターミナルから出発する、オビドス行きのバスに乗る方法。オビドスへ直通なので便利です。時刻表は以下のとおり。
 【カンポ・グランデ駅前のバスターミナル出発時刻】
 月~金:0815、0930、1200、1315、1545、1815、2015
 土  :1645
 日  :1925

 もう1つは、電車でセテ・リオス駅まで行き、セテ・リオス・バスターミナル出発のバスでカルダス・ダ・ライーニャまで行き、オビドス行きのバスに乗り換える方法。時刻表は以下のとおり。
 【セテ・リオス・バスターミナル出発時刻】
 月~金:0800、0900、1000、1100、1200、1300、1400、1500、1545、1815、2000
 土・祝:0900、1100、1200、1300、1400、1815、2000
 日  :0900、1100、1200、1400、1815、2000

 ※ 時刻表は、どちらも2004年12月現在のものです。当然、変更される可能性がありますので、旅行の際は現地でお確かめ下さい。または、Rede Expressos社のホームページ (ポルトガル語) で検索してみてください。
 ※ ちなみに、『時刻表(time schedule)』という言葉は、ポルトガル語で何というでしょう? 正解は、『HORARIOS(オラリオス)』。これは、憶えておくとよいと思います。

 当然前者のほうがおすすめなのですが、13:15発のバスには間に合わないので、後者の14:00発のバスでオビドスに行くことにしました。1人6ユーロ(840円)。

カルダス CALDAS DA RAINHA

交通の要衝

 15:10にカルダス・ダ・ライーニャ到着。
 ちょっとだけ市内を見ました。

カルダス郵便局
↑【左】カルダスに到着しました。  【右】かわいらしいカルダスの郵便局。↑

焼き栗屋サンタクロース
↑【左】コワモテの焼き栗屋。  【右】めずらしい色のサンタクロース。↑

 15:40にカルダス・ダ・ライーニャ発、ペニシェ行きの路線バスに乗車(1人1.1ユーロ:154円)。しだいに丘の上の城壁が近づいてきて、16:00、オビドスに着きました。

オビドス OBIDOS

谷間の真珠

 オビドスは、城壁に囲まれた、本当に小さな村です。
 ポルタ・ダ・ヴィラという門を通り抜けると、城壁に囲まれた村の中に入ることができるのですが、まずは門をくぐる前に、帰りのバスの時刻をたずねるためインフォメーションに行きました。
 インフォメーションは城壁の外側。ポルタ・ダ・ヴィラのすぐそば。バス停前の階段を上がり、西へ徒歩1分のところにありました。インフォメーションのスタッフはとてもいい人で、帰りのバスの時間を細かく教えてくれました。オビドスに到着してまだ間もないのですが、話しているうちに、この村で1泊したいと思うようになり、ホテルの地図をもらいました。地図にはオビドス・オビドス近郊の宿泊施設が20件載っていて、料金はダブルが20ユーロから300ユーロまで様々ですが、城壁内のホテルは料金が高め。インフォメーションから西に徒歩5分のところにある、Hospedaria Louroというホテルがダブルで40ユーロと書いてあり、手頃なので、電話で空室を確認してもらいました。

インフォメーションLouro
↑【左】オビドスのインフォメーション。  【右】Hospedaria Louroのプール。↑

209号室洗面所
↑【左】Hospedaria Louroの209号室。  【右】ユニットバスは清潔。↑

中庭円窓
↑【左】Hospedaria Louroの中庭。  【右】階段の円窓。↑

 空室があったので、スタッフにお礼を言ってインフォメーションをあとにし、Hospedaria Louroに行きました。タートルネックを着たフレンドリーな中年女性が英語で出迎えてくれ、値段は「現金なら30ユーロ。」と言ってくれたので、2人1泊・朝食付き30ユーロ(4200円)で泊まれました。209号室。部屋の中がとてもかわいらしく、建て物がきれいで、ベランダはもちろんのこと、中庭やプールまでありました。テレビも、他のホテルは『ELBE』という日本では馴染みのないブランドのテレビが多かったですが、ここは『SHARP製』。

 16:35にHospedaria Louroを出発し、いよいよ観光へ。

Hospedaria Louro水道橋
↑【左】Hospedaria Louroを出発。  【右】オビドスの水道橋。↑

 ポルタ・ダ・ヴィラを通り抜けると、道が左右に分かれていました。左の道を進むと、おみやげ屋が並んでいました。
 青や黄色のふちどりがされた家々が並び、とてもかわいらしい街並み。村はとても小さく、端から端まで歩いても、10分かかりません。昼間は観光客でいっぱいになるオビドスですが、夕方以降はほとんど観光客がいなくなるようです。そして、この時間帯こそ、オビドスの小道、路地、風景を楽しむのに最適な時間。

ポルタ・ダ・ヴィラ前ポルタ・ダ・ヴィラ
↑【左】オビドスへの入口、ポルタ・ダ・ヴィラ。  【右】ポルタ・ダ・ヴィラのアズレージョ。↑

村の入口
↑ポルタ・ダ・ヴィラを抜けると、石畳の小道が左右に分かれていました。

オビドス
↑青と黄色のふちどりがかわいい、オビドスの街並み。

サンタ・マリア教会サンティアゴ教会
↑【左】サンタ・マリア教会。  【右】サンティアゴ教会。↑

おみやげ屋城壁の階段
↑【左】控えめに咲く植木鉢の花。  【右】手すりのない、城壁の階段。↑

 16:55、サンティアゴ教会のわきに、城壁を登るための階段があり、城壁を登ると、街並みが見下ろせました。
 城壁には、柵や手すりは全くありません。城壁の高さは、10メートル。いや、20メートル? 落ちたら多分、命はないでしょう。

城壁
↑オビドスの城壁。

城壁城壁からの眺め
↑【左】柵のない城壁。  【右】城壁の上からの景色。↑

城壁街並み
↑【左】城壁はかなりの高さ。  【右】家々の屋根。↑

夕日
【右】オビドスの城壁の上から見た夕日。↑


↑降りるときも、気をつけなければなりません。

 肉体疲労がたまっている旅行7日目。しかも薄暮。城壁を1周する勇気は、ありませんでした。
 階段にも手すりはなく、片側は絶壁。登るときは、「早く登って景色を見たい!」という気持ちが強かったのであまり気になりませんでしたが、降りる段になってみると、ちょっと足がすくみました。おそるおそる降りて、ふたたび村を散策。

水道橋
【右】背後の砦のようなお城が、ポサーダ・ド・カステロ。↑

 日が暮れ、暗闇を受け入れていくオビドス。おみやげ屋やレストランの窓枠、城壁、そしてサンタ・マリア教会にまで電飾が施されていて、きれいに照らし出されていきます。サンタ・マリア教会前のサンタ・マリア広場では、村人が焚き火をしていました。

ライトアップ焚き火
↑【左】おみやげ屋がいちばん魅力的に見える時間帯。  【右】広場の焚き火。↑

教会前サンタ・クルス教会
↑【左】まるで生きているかのよう。  【右】サンタ・クルス教会。↑

夜のサンタ・クルス教会
↑夜がふけて、きれいに浮かび上がるサンタ・クルス教会。

 オビドスは、ローテンブルク(ドイツ)やチェスキー・クルムロフ(チェコ)と同じように、その場にいるだけで中世を感じることができる土地。特に、城壁にかこまれているところ、鉄道の便が悪いところはローテンブルクと似ていますが、オビドスはローテンブルクほど観光地化されておらず、素朴な雰囲気でした。

 ただ1つ、よさそうなレストランが見当たらないのがオビドスの欠点。実際にはおいしいレストランがあるのかもしれませんが、村を歩いてメニューを眺めたかぎりでは、価格がかなり高めで、今ひとつピンとくるお店がありませんでした。『地球の歩き方』に載っている、プリメイロ・デゼンブロというレストランに行ってみましたが、今日は休みのようでした。

おみやげ屋
↑おみやげ屋の工房に描かれたオビドスの地図を、許可を得て撮影。

 そこで、15世紀の城を改装した、ポサーダ・ド・カステロというホテルのレストランで食事をすることにしました。ポサーダとは、城や修道院などの歴史的建造物を改装した国営の宿泊施設のことです。

ポサーダポサーダの中庭
↑【左】ポサーダは左へ。  【右】ポサーダの中庭。↑

ポサーダのレストラン
↑【左】レストランは2階。  【右】ポサーダのロビー。↑

 ポサーダ・ド・カステロに、18:15に到着。
 レストランのディナータイムは19:30からなので、それまでの間、ホテルのバーで待つことに。ホテルのスタッフは、こころよく案内してくれました。オビドス名物のお酒、ジンジャ(4.2ユーロ:588円)を注文しました。ジンジャは、甘くて、とろーりとしたフルーティなお酒。
 バーは近代的なテーブルとライトがあって非常におしゃれでしたが、少し暗かったので、バーの隣りにあるロビーのソファに座って新聞や雑誌を読みながら、ジンジャを味わいました。ロビーで、ポサーダの宿泊客に混じっていると、まるで■■たちもポサーダに宿泊しているかのような、リッチな気分になることができました。

オブジェとジンジャ2階
↑【左】ロビーのオブジェと、ジンジャ。  【右】ポサーダの2階を見学。↑

電気メニュー
↑【左】おしゃれなかたちの電気。  【右】レストランのメニュー。↑

 「クリスマスツリーが置いてあるね♪」
 「おっ、新聞によると、明日の天気は…晴れのちくもりか…。」
 
 レストランに行ってから外国語メニューと格闘するのは得策でないと思ったので、19:10頃に、レストランのメニューを持ってきてもらい、ロビーでじっくりメニューを見ました。そして、19:30になると同時に、レストランに案内してもらいました。

 レストランも豪華な雰囲気でした。窓ガラスがよごれ気味なのは、ご愛嬌。
 城壁が見える出窓席が特等席(リザーブ席)のようでしたが、その席よりもむしろポサーダの中庭が見える普通の席のほうが、眺めがいいと思われました。

 バカリャウ・ア・ブラーシュ 15ユーロ(2100円)
 スズキの炭火焼 15ユーロ(2100円)
 赤ワイン(Adega Das Povsadas)375mL 4.7ユーロ(658円)

Adega Das Povsadas2階
↑【左】赤ワイン、Adega Das Povsadas。  【右】バカリャウには赤が合います!↑

バカリャウ・ア・ブラーススズキ
↑【左】バカリャウ・ア・ブラーシュ。  【右】スズキの炭火焼。↑

 バカリャウ・ア・ブラーシュとは、干しダラとジャガイモとタマネギの卵とじのこと。ポルトガルの代表的料理です。『リスボンおじさんひねくれガイド』に書いてあるとおり、「バカ野郎、油足!」と注文したら、見事につうじました。

 21:08にレストランを出て、寒かったので早歩きで帰り、21:18にHospedaria Louro到着。
村の東端のポサーダから、村の西端のポルタ・ダ・ヴィラより更に西にあるHospedaria Louroまで、早歩きで10分。城壁の内側に無理にホテルを取る必要は、ほとんどないと言えるでしょう。

 暖房の効きは、今までの宿の中でもピカイチ。ただ、部屋にドライヤーがありません。このホテルも、夜間はフロントにいるのは英語が話せない人。

 「『ドライヤー』って、ポルトガル語で何ていうのかな?」
 「こんなときこそ、『視覚的構造化』だよ。」

 ■■は、メモ帳にドライヤーの絵を書き、それをフロントの人に見せに行きました。フロントの人は、最初は水道の蛇口とカン違いしました(笑)が、すぐにドライヤーだと分かってくれました。
ドライヤーを借りることに成功し、部屋に戻りました。「さすが」と●●にほめられて、■■は更に満足。

 こうして、ドライヤーの風音とともに、7日目の夜が更けていきました。

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メルカード・ポルトガル
ポルトガル製品専門の楽天市場ショップ。オリーブオイル、ワイン(ポルトワイン、ヴィーニョ・ヴェルデなど)、はちみつ、塩、雄鶏の置き物など、あなたの家までポルトガルをお届けします。

2004年12月10日

【10】 オビドス → リスボン → エヴォラ → リスボン

オビドス OBIDOS

谷間の真珠

 オビドスのHospedaria Louroで朝を迎え、6:35起床。
 オビドスの風景を描いた美しいアズレージョのある食堂で、6:50から朝食。オーブンがあり、トーストを焼くことができました。

Louroの食堂
↑Louroで朝ご飯。オビドスの街を描いたアズレージョが見事。

朝ご飯Louro
↑【左】シンプルなブレックファースト。  【右】かわいらしいLouro。↑

 7:42にHospedaria Louroをチェックアウト。実に快適なホテルでした。バス停に行く途中、飛行機雲が2つ、空にアーチをかけていました。その飛行機雲以外にも、今日は少し雲が空に浮かんでいます。

ヒコーキ雲オビドスの壁
↑【左】飛行機雲。  【右】オビドスとお別れです。↑

 7:55オビドス発リスボン行きのバスが、3~4分遅れてバス停に現れました。このバスは、直接リスボン(カンポ・グランデ駅前のバスターミナル)に到着するバスで、1人5ユーロ(700円)。

 『谷間の真珠』と形容されるオビドスと、お別れです。2階建てバスの2階の最前列が空いていたので、そこに座りました。眺めがよいですが、窓は結露状態。隣りに座っていたおばさんは、窓をふくためのタオルを持っていて、しきりに窓を拭いていました。このおばさんはおそらく、このバスで毎日リスボンまで通勤しているのでしょう。

リスボン LISBOA

 9:00、リスボン(カンポ・グランデ駅前のバスターミナル)に到着。
メトロでアヴェニーダ駅で降り、12月4日に宿泊したPENSAOアレグリアへ行きました。フロントの人は、12月4日にいた人と同じだったので、話がスムーズでした。今日も25ユーロ(3500円)の401号室に宿泊することが決定!

 旅行のラスト2日(12月11日・12日)は、HOTELベルナを予約してあるので、これで、ポルトガル旅行中に宿泊する場所が全て決まりました。

 アレグリアを出発し、レスタウラドーレス広場のマクドナルドの隣りにある両替所(CAMBIO)で両替をしました。ここのレートは【10,000円→70.6ユーロ】で、手数料が【2.2ユーロ】かかります。20,000円両替して、139ユーロになりました。

 「ポルトより少しレートが悪いね。」

 ちなみに、リベルダーデ通りにあった銀行(BNI)のレートは、【10,000→69ユーロ】で、手数料がなんと【8.5ユーロ】でした。ポルトガルでは一般に、銀行よりも両替所のほうがレートがよいみたいです。

駅のアズレージョルス駅
↑メトロの駅によって、アズレージョはさまざまでした。↑

 メトロのレスタウラドーレス駅から、コレジオ・ミリタール/ルス駅(上の写真【右】)へ。10:15着。
 ここには、コロンボ・ショッピングセンターがあります。築10年くらい経っているでしょうか。壁や床が、ポルトのノルテ・ショッピングと比べてやや古かったです。

コロンボ
↑コロンボ・ショッピングセンター。

コロンボヤシの木
↑コロンボ・ショッピングセンターとは、コロンブスという意味らしいです。↑

コロンボヤシの木
↑【左】広大なコロンボのマップ。  【右】トイレ。↑

 建物の中央に円形の吹き抜けがあり、そこにデコレーションされた巨大なクリスマスツリーがあり、これは見事。また、ヤシの木が、通路のところどころに配置されており、■■と●●の眼を楽しませてくれました。

 コロンボ・ショッピングセンターは、ポルトのノルテと同じく、ファッション関係のショップが多く、中でも『Pull and Bear』という若者向けの洋服ショップは、デザインがかわいく、値段が手ごろだったので、■■はオレンジ色のジップアップ(29.9ユーロ:4180円)を1着購入しました。

 3階がレストラン街になっていて、ケンタッキーやバーガーキング、マクドナルドなど、日本でもおなじみのファーストフードから、ポルトガル料理を出すレストラン、パステラリア、カフェまで、さまざまなお店が集まっています。

 ■■は『Pateo』というレストランのArroz de Pato(鴨の炊き込みご飯:4.9ユーロ:686円)を食べました。タイ米ライクな細めのお米の中に、鴨肉が非常にたくさん入っていました。

Pateoアローズ・デ・パット
↑【左】Pateo。  【右】Pateoのアローズ・デ・パット(鴨の炊き込み御飯)。↑


 ●●は、『Sabores de Cintra』というパステラリアで、シントラ名物のケイジャーダ(チーズタルト:1ユーロ:140円)とコインブラ名物のアーモンドパイ(1.1ユーロ:154円)を買って食べました。

Sabores de Cintraコロンボ
↑【左】Sabores de Cintraのお菓子。

ケイジャーダクリスマスツリー
↑【左】Sabores de Cintra。  【右】クリスマスツリー。↑

 平日なので、昼休みの会社員のような人が多く見られました。12:00を回り、テーブルはほぼ満席。

 食事後、地下1階にあるスーパーマーケット(CONTINENTE)へ。このスーパーも、とにかく広かったです。食品だけでなく、日用品や子供のおもちゃ(TVゲーム、LEGOブロック、人形など)も販売されており、クリスマスプレゼントでいっぱいの大きなショッピングカートを押しているお客さんを散見。本当に大きなショッピングカートに、本当にあふれるくらいの商品を入れている様は、アメリカ映画の専売特許かと思っていましたが、欧州でも普通に見られるようです。
 スーパーマーケットの食品売り場を歩いていると、くさい匂いがただよってきました。
 「くさっ!何だろう、この匂い?」
 「あそこから匂ってるよ。」

スーパーマーケット山盛りのバカリャウ
↑【左】スーパーマーケット店内。  【右】山盛りのバカリャウ(干しダラ)。↑


 そこには、ポルトガル人の国民食がありました。山積みにされたバカリャウ(干しダラ)です。食べると美味しいバカリャウも、料理される前はトリッキーな物体でした。

 ■■たちは、ドウロワイン(VINHO TINTO Caves Santa Marta:1.41ユーロ:197円)とポテトチップ(0.79ユーロ:110円)を買い、コロンボ・ショッピングセンターをあとにしました。
 そして、コレジオ・ミリタール/ルス駅からメトロに乗車し3駅、ジャルディン・ズロジコ駅で下車。地下道を300メートルほど歩くと、もうおなじみのセテ・リオス駅に到着します。地下1階から1階にエレベーターで上がり、北東側の出口を出れば、そこはセテ・リオス・バスターミナルです。ここは、この旅で3度目の利用(1度目は12月5日、2度目は9日)。

セテ・リオス・バスターミナル
↑各方面へのバスがセテ・リオス・バスターミナルを出発します。

チケット売り場バス内
↑【左】バスターミナルのチケット売り場。  【右】今日のバスは1階建て。↑

 この日は、13:45発のバスに乗って、エヴォラに向かいました。
テージョから、アレンテージョ地方(テージョのかなたという意味)へ向かう、1時間45分の旅。距離にして110キロメートル。

 ポルトガルの長距離バスの車内には、スピーカーから曲が流れてきます。そのため、好むと好まざるとにかかわらず、その曲を聴くことになります。たまに『ホテル・カリフォルニア』など馴染みのある曲が流れますが、たいてい知らないロック調の曲。ボリュームがもう少し小さいと助かるのですが。
 また、このバスには、遠足(?)に行く小学生くらいの子供が10人程乗っていました。子供たちは元気です。スピーカーの曲よりもさらに大きな声で話し合っていました。
 14:55、MONTEMOR NOVOという町に到着。子供たちはここで下車しました。■■は、エヴォラに着いたのかと思い、近くの座席に座っていた男性に「エヴォラー?」とたずねると、人差し指を立て、チッチッチッと指を左右に揺らしながら「ナォン。」と教えてくれました。ポルトガル人は、「ノー。」を意味するとき、人差し指を左右に動かすみたいです。バスは程なくして、エヴォラに向けて出発。

 ■■は、さっきスーパーで買ったドウロワインを飲みながらバスの旅を楽しみました。どこでもワインを飲めるように、コルク抜きを必ずカバンに入れるようにしています。

エヴォラ EVORA

2000年の歴史を神殿が見守る、白い街

 予定到着時刻15:30よりも少し早く、15:23にエヴォラのバスターミナルに到着しました。エヴォラは、この旅最後の目的地。

このバスに乗ってエヴォラにエヴォラのバスターミナル
↑【左】このバスでエヴォラに来ました。  【右】エヴォラのバスターミナル。↑

 アレンテージョ地方の中心地、エヴォラは、世界遺産に登録されている、城壁に囲まれた都市です。空に雲が少しみえたものの、本日も晴天でした。

 この街のサン・フランシスコ教会内部には、人骨堂という部屋があります。そこは、壁面、柱、そして天井が、なんと5000体もの人骨で埋め尽くされている部屋で、フランシスコ派の僧たちの修練の場だったそうです。■■は興味があったのですが、●●が「ちょっと怖いから、やめておこうよ~(>_<)。」と言うので、■■も「それもそうだね(*^-^*)。」と思いなおし、サン・フランシスコ教会には行かないことにしました。

 バスターミナルは街の西側(城壁の外側)にあり、中心部までは少し距離があります。5分ほど歩くと城壁が見えてきました。

エヴォラの城壁エヴォラの路線バス
↑【左】エヴォラの城壁。  【右】エヴォラの路線バス。↑

ごみ箱クリスマスツリー
↑【左】ごみ箱。  【右】オビドスの家々に似ている配色。↑

 街の中の家々は、黄色や青にふちどられており、なんだかオビドスに似ています。城壁の内側に入り、まっすぐ歩いていくと、やはりおみやげ屋が散在していました。城壁から歩くこと8分、道が開けて、街の中心ジラルド広場に到着。と言っても、目に入ってくるものは、噴水、サン・アンタオン教会、カフェ、大きな岩、杖をついている老人、エヴォラ大学の大学生、そして客待ちしているタクシー数台くらい。まあ、普通の広場でした。ちなみにジラルドとは、12世紀に山賊から騎士に転身し、イスラム教徒からエヴォラを開放した英雄『恐れ知らずのジラルド』のこと。

サン・アンタオン教会噴水と大岩
↑【左】サン・アンタオン教会。  【右】『白い街』と呼ばれるエヴォラのジラルド広場。↑

10月5日通り
右側に伸びる細い通りが、10月5日通りです。↑

コルクの絵はがき
↑ジラルド広場やエヴォラの街並みが描かれた、コルク製の絵はがき。

 広場から東へ延びる10月5日通りは、かなり細い歩行者通路。幅3メートル程度ですが、ホテルやおみやげ屋がならんでいました。10月5日通りを抜け、カテドラル、ポサーダ・ドス・ロイオス、ディアナ神殿などの見どころが集中する一画に足を踏み入れました。

 カテドラル
 ロマネスク様式からゴシック様式に移り変わる時代に建てられた大聖堂。入口に、デフォルメされた像が並んでいました。外壁にはシミが多く、歴史とサウダージを感じさせてくれました。また、入口の階段では犬がシエスタしていました。

カテドラルカテドラル
↑【左】10月5日通りを抜けると、カテドラル。  【右】荘厳な内部。↑

高い天井
↑迫力十分の、高い天井。くすんだ色合いが、エヴォラのイメージにマッチしていました。

落ちてきそう犬
↑【左】豪華なシャンデリア。  【右】カテドラル入口で、気持ちよさそうにお昼寝。↑

デフォルメ
カテドラル入口にある、デフォルメされた像。↑

 ポサーダ・ドス・ロイオス
 もと修道院だったポサーダ。オビドスのポサーダと違って、近代的な要素を極力排し、中世そのままのマヌエル様式を保っているポサーダで、ソファや戸棚など、本当に古い家具が大切に置いてありました。
 宿泊はもちろんせず、レストランも利用しませんでしたが、こころよく内部を見学させてくれました。ロビーに新聞があったので、今週末のサッカーの試合日程をチェック。リスボンでは、12月11日(土)の21:15から、スポルティング・リスボンvsブラガの試合があるようです。

POUSADA DOS LOIOSポサーダの中庭
↑【左】エヴォラのポサーダ、ポサーダ・ドス・ロイオス。  【右】ポサーダの中庭。↑

クリスマスツリー中庭の廊下にテーブルが並んでいました
↑【左】ロビーのツリー。  【右】中庭の廊下にテーブルが並んでいました。↑

サンタがやってきた中庭
↑【左】サンタがポサーダにやってきた。  【右】ここはもと修道院。↑

 ディアナ神殿
 ここにちょうど日本人ツアーの方々がいました。
 ローマ時代の神殿。2世紀末に造られたコリント様式の柱が、前置きもほどほどにその存在感をを誇示していました。エヴォラ2000年の歴史の象徴であるディアナ神殿のすぐ周囲には、路上駐車の車が何台もあり、その無造作感に、ポルトガルという国の懐の深さを感じました。

ディアナ神殿ディアナ神殿
↑ディアナ神殿。狩猟の神ディアナに捧げられた神殿であるとする説は、推測の域を出ません。↑

花崗岩製2000年の歴史を刻む
↑14世紀には、女王レオナールに反旗を翻した農民が、ここにたてこもったそうです。↑

エボラのディアナ神殿
↑花崗岩と大理石で造られた、コリント様式のディアナ神殿。

 また、ディアナ神殿の北に位置する公園は高台になっており、遠くの水道橋や街並みを眺めることができました。

ポサーダエヴォラの猫
↑【左】奥に見える建て物がポサーダ・ドス・ロイオス。  【右】エヴォラの猫。↑

蛇口街並み
↑【左】公園の蛇口をひねった瞬間ッ!  【右】はるか遠くには、水道橋。↑

花壇
↑鳴らない鐘ですが、これも平和の象徴。

 『まるで、町全体が博物館のようだ』とガイドブックに書かれているエヴォラ。確かに、こうやって文章にしてみると、見どころがたくさんある街に思えますが、実際に■■と●●がここを訪れたときは、それほど感動はなく、普通の街に感じてしまいました。これは、エヴォラに魅力がなかったのではなく、ポルトガルのその他の都市があまりにも魅力的過ぎたのが原因ではないでしょうか。
 もし12月3日にエヴォラに訪れていたら、「わー、すごい!」と思っていたのかもしれません。

 サン・フランシスコ教会とエヴォラ大学を除けば、エヴォラの主な観光スポットはこれで見たことになります。それなりに満足したので、おみやげ屋を見ながらバスターミナルまで戻ることにしました。

 最初に立ち寄ったおみやげ屋のポルトガル人は、久々に嫌な人でした。10月5日通りにあったおみやげ屋なのですが、VISAカードやマスターカードのマークが入口に書かれていたので、合計で10ユーロおみやげを買おうとしたら「カードは使えない。」と言われ、■■が「現金は持っていない。」と答えたら、「銀行で両替してこい。」と言うのです。実際には当然10ユーロくらいは現金で持っていましたが、ここで払ってしまったら日本人がなめられると思い、買わずにこの店を出ました。そこから1分ほど歩いたところにある別のおみやげ屋(VISAが使えるところ)で、コルク製の絵はがきなどを10.2ユーロ(1428円)買いました。
 ポルトガル人は他のヨーロッパ諸国とは比べものにならないほど優しい人が多かったですが、中には嫌な人もいます。当たり前の話なのですが、このようなことがあると、いい気分はしませんでした。いや、むしろ、優しい人が多いからこそ、たまに嫌な対応をされてしまったときに、■■と●●の心に深く負の感情が刻まれてしまうのでしょう。

 17:45エヴォラ発、19:30リスボン着のバスに乗り、リスボンに戻りました。帰りは、予定より6分遅れて、19:36リスボン(セテ・リオス・バスターミナル)着。

リスボン LISBOA

メトロメトロ
↑【左】リスボンのメトロ、バイシャ・シアード駅。  【右】アヴェニーダ駅。↑

 メトロでジャルディン・ズロシコ駅からレスタウラドーレス駅まで行き、12月4日にも訪れたレストラン、MODERNA RESTAURANTEに行きました。19:55にお店に入りましたが、今日はすいていました。

 ビール(サグレス・プレタ) 2.15ユーロ(301円)×2本
 クレメ・デ・マリシュコ 2.4ユーロ(336円)
 ポルコ・ポルトゲーザ 6.7ユーロ(938円)
 バカリャウ・ア・ブラーシュ 4.9ユーロ(686円)

マリシュコとビールバカリャウ
↑【左】クレメ・デ・マリシュコと黒ビール。  【右】バカリャウ・ア・ブラーシュ。↑

 サグレス・プレタは、サグレスビールの黒ビール。すっきりした味わいで、■■は普通のサグレスよりも、サグレス・プレタのほうが気に入りました。
コジト・ア・ポルトゲーザがあれば注文したかったのですが、今日も品切れ(?)だったので、ポルコ・ポルトゲーザと、バカリャウ・ア・ブラーシュを、スコラリに似たウェイターにたのみました。12月4日と同じく、スコラリに似たウェイターも、ミスタービーンに似たウェイターもいましたが、さすがに74歳のウィーンから来たジャーナリストはいませんでした。

 「今ごろ、どこを旅しているのかな?」
 「名前も聞かなかったけど、陽気な人だったよね。」

 21:00、「ア・コンタ・ポルファボール!(お会計をお願いします)」
 ミスタービーンに似たウェイターにVISAカードを渡し、テーブルチェックしました。

 そして、PENSAOアレグリアに戻って、ベッドに倒れこみ、就寝。

メルカード・ポルトガル
ポルトガル製品専門の楽天市場ショップ。オリーブオイル、ワイン(ポルトワイン、ヴィーニョ・ヴェルデなど)、はちみつ、塩、雄鶏の置き物など、あなたの家までポルトガルをお届けします。

2004年12月11日

【11-a】 リスボン

リスボン LISBOA

 本日は優雅に、9:30起床。ぐっすり眠ることができました。PENSAOアレグリアの401号室の窓からは、今日もサン・ジョルジェ城と青い空が見えました。
 チェックアウト時にフロントでアメをもらおうとしたら、在庫が品切れでした。

 「アグリアに、アメはなかったね。」
 さようなら、アメグリア。

 アヴェニーダ駅からバイシャ・シアード駅まで青ライン。
 バイシャ・シアード駅からアラメダ駅まで緑ライン。
 アラメダ駅からオリエンテ駅まで赤ライン。
 メトロを乗り継ぎ、ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターへ行きました。
 【参考リンク】 メトロの路線図はこちら
 【参考リンク】 また、メトロ各駅のアズレージョはこちらを参照してください。

駅
↑とあるメトロの駅にあった、アメコミ風アズレージョ。

バスコダガマショッピングセンター
↑ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター。

モニュメントショッピングセンター内
↑【左】背後にはモニュメント。  【右】ショッピングセンター内。↑

魚も泳ぐプルアンドベアー
↑【左】魚も泳ぐショッピングセンター内。  【右】カジュアルなショップ『Pull and Bear』。↑

 この一画は、リスボン万博(1998年開催)会場跡地。現在では国際公園になっていて、ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターのほかに、リスボン水族館、アトランティック・パビリオン、そしてヴァスコ・ダ・ガマ・タワーなどが、観光客や市民でにぎわっているようです。
 ヴァスコ・ダ・ガマ・タワーは、現在は閉鎖されていて、登ることができませんでした。発見のモニュメントの展望台(12月5日の日記参照)に続いて、ここでもがっかり。

街角バスコダガマタワー
↑【左】EURO 2004のなごり。  【右】閉鎖中のヴァスコ・ダ・ガマ・タワー。↑

レストラン街ロープウェイ
↑【左】テージョ川沿いのレストラン街。  【右】ロープウェイ(Teleferico)。↑

 ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターに戻り、フードコートで11:50に昼食。店舗を構えるレストランは、基本的にコロンボ・ショッピングセンターやノルテ・ショッピングと同じお店が大多数。他の人が食べていて美味しそうなものを、目で見て選べるのが、フードコートの利点です♪
 LOJA DAS SOPASというお店のスープが、■■と●●の目に留まりました。コロンボやノルテでも見かけて気になっていたこのお店。ラーメンのどんぶりよりも大きなうつわに、気前よく注がれたスープ。とってもいいにおい。

 「あれを食べてみよう!」
 「おいしそーー♪」

 LOJA DAS SOPASをはじめ、フードコートのレストランで働いている人は、若い黒色人種の女性が多かったです。黒色人種の多さは、今までに旅したヨーロッパの国々の中でも、いちばん。かつて植民地を多く持っていた国ならでは。
 さて、スープは全部で4種類あり、大きな鍋…鍋というより、大きな壷…の中に入っています。
 英語は全くつうじないので悩んでいると、4つの壷それぞれの中身を、フタを開けて見せてくれました。中でも、ひときわ美味しそうな赤茶色のスープ。これを注文しました。スープに小さなパンが付いて、2.5ユーロ(350円)。
 これが、スマッシュヒット!マカロニと、豆と、角煮のような肉が入った、カレー風味のスープ。と言っても単純なカレー味ではなく、なんだか奥の深い味で、豆と肉がじっくり煮込まれていて、スープにもとろみがでてまろやか。ボリュームたっぷりで、驚くほど美味しかったです。
 12:00を過ぎると、LOJA DAS SOPASの前には長蛇の列ができていました。この味でこの値段なら、当然でしょう。でも、こんなに安くて美味しいものがあるのに、ケンタッキー・フライドチキンやバーガーキングのハンバーガーを買っているポルトガル人も、けっこういました。

バスコダガマショッピングセンターLOJA DAS SOPAS
↑【左】再びショッピングセンターへ。  【右】LOJA DAS SOPASの激ウマスープ。↑

 昼食のあと、地下のスーパーマーケット(CONTINENTE)でおみやげ用のお菓子やワインを購入しました。早いもので、明後日(12月13日)の早朝には、帰りの飛行機に搭乗しなければならないのです。
 「11泊。最初はどうなることかと思ったけど、あっという間だねー。」
 「このワイン、正月に家族みんなで飲む用に、買っていこう。」

 14:09、メトロのオリエンテ駅出発。
 14:40、HOTELベルナにチェックイン。12月3日に宿泊したときと同じ203号室を用意してくれました。預けておいたスーツケースを受け取り、203号室へ。

 HOTELベルナのバー(1階)に行き、今日のサッカー(スポルティング・リスボンvsブラガの試合)が何時開始かを念のためたずねると、「21:15からだよ」とバーテンダーが教えてくれました。
 それから、しばし部屋で休憩。TINTO DA TALHA(アレンテージョ地方の赤ワイン)を飲みながら、日記をつけていましたが、気がつくと、2人とも眠っていました。

赤ワインとホテルのマッチ買ったもの
↑【左】アレンテージョのワイン。  【右】Pull and Bearのジップアップと、Bataのくつ。↑

 ポルトガルの都市はどこも非常に治安が良く、食べ物も美味しいです。物価も、ユーロ高(1ユーロ=140円)の影響を受けていますが、それなりに安いです。見どころもたくさんありました。そして何より、人々が優しくあたたかいです。今までに来たヨーロッパの国々の中で、ポルトガルは最高に素晴らしい国だと思います。
 しかし、見慣れない街並み、歩き慣れない石畳、聞き慣れない言語、食べ慣れない食事、乗り慣れない交通機関。それら全てが、大いなる楽しみである反面、精神的・肉体的疲弊の要因にもなります。
 疲労を回復させるには、睡眠がいちばん。

 目が覚めたのは、18:00。さて、夕食。『地球の歩き方』に掲載されている、O Brunhal(オ・ブルニャル)というレストランを目指して、18:20にHOTELベルナを出発。メトロでアヴェニーダ駅まで行き、そこから徒歩で、人通りの少ない裏道へ。ありました、O Brunhal。時計は18:45。全部で20席ほどの小さなレストラン。地元客が、食事を食べるでもなく話をしたり、携帯をいじったりしていました。

メニュー店内
↑【左】オ・ブルニャルのメニュー。  【右】こぢんまりとした店内。↑

O Brunhalの壁
↑オ・ブルニャル店内の壁に描かれた絵。●●のお気に入り。

 笑顔が素朴な若いお兄さんが1人で注文をとって、料理もつくっている様子。このお兄さんの人柄の良さで、いい感じの空気が流れていました。

 ポルコ・ポルトゲーザ 4.9ユーロ
 アローズ・デ・ポルヴォ(タコの雑炊) 4.9ユーロ

ポルコ・ポルトゲェーザタコご飯
↑【左】ポルコ・ポルトゲーザ。  【右】タコの雑炊を盛り付けてくれたところ。↑

アローズ・デ・ポルボ
↑タコの雑炊は、素材の味で勝負!

 アローズ・デ・ポルヴォは、お兄さんが鍋のまま持ってきてくれ、テーブルでお皿に盛り付けてくれました。塩味のシンプルな雑炊ですが、素材のうまみが出ていて、タコが大きく、柔らかかったです。量も多く満足。明日は日曜なのでこの店はお休みなのですが、明日開いていたらまた来てもいいくらいの美味しさでした。

ケーブルカー
↑ケーブルカー・グロリア線は、リスボン市民の足。

グロリア線
↑どうせ落書きをするなら、もうすこしアーティスティックなものにしてほしいです…。

 19:40にO Brunhalを出て、すぐそばにあるグロリア線のケーブルカーを、写真撮影。落書きがなければ、最高なのですが。

【11-b】 リスボン (ジョゼ・アルバラーデ)

リスボン LISBOA

 メトロで、カンポ・グランデ駅へ着いたのが20:00ちょうど。
 そう、この駅を下車してすぐのところにあるのが、ジョゼ・アルバラーデ。スタジアムの周囲は、たくさんの人で溢れていました。みな、白と緑のマフラーや、ユニフォームを身につけた、スポルティング・リスボンのサポーター。

ジョゼ・アルバラーデ
↑スポルティング・リスボンの本拠地、ジョゼ・アルバラーデ。

 当日券は意外に値段が高く、メインスタンドとゴール裏との間の斜め部分の席が、1人30ユーロ(4200円)。チケット売り場には、前売り券だと、同じ席が1人25ユーロと書かれていました。
 チケット売り場でチケットを購入し、20:30スタジアム内へ。『7Colinas』と同じ要領で、入場チケットをゲート横にあるセンサーにかざすと、ゲートを通れる仕組みになっていました。

ジョゼアルバラーデのチケット売り場スタジアムの入場口
↑【左】チケット(当日券)売り場。  【右】ジョゼ・アルバラーデの入場ゲート。↑

ジョゼアルバラーデ内部ゲート
【右】スタジアムのここをくぐる瞬間、いつもいちばんドキドキします。↑

 シンプルな外観のドラゴン・スタジアム(ポルト)と違い、ジョゼ・アルバラーデは黄色・緑の原色がメインカラーのド派手な外観。座席もカラフル。個人的には、こういう奇抜なスタジアムは大好きです。

ジョゼ・アルバラーデ
↑20:45、試合開始30分前ですが、まだ観客はまばら。

2人で撮影カラフルなイス
【右】とてもカラフルな座席。↑

全部で何色?
↑全部で何色あるでしょう?。

 スポルティング・リスボンの対戦相手は、ブラガ。2002-2003シーズンに廣山望が所属していたことで有名なチームです。と言うより、それが唯一の知識。
 一方スポルティング・リスボンは、かつてフィーゴやパウロ・ソウザが所属していたチームです。ポルトガルリーグでは、FCポルトとベンフィカ・リスボンに次いで、3番目に伝統のあるチームですが、現在所属している選手は、ロッチェンバック、リエジソン、ロジェリオなどのブラジル勢と、ペドロ・バルボサなどの自国ベテラン勢。名前をかろうじて聞いたことがある程度で、プレースタイルなどは全く分かりません。

しかし、観戦時はよく知らなかったのですが、Takumaさんのホームページの記事、ベレーザ!ラテンの香りとフットボール:明暗が分かれた、ポルトとブラガ4チームが同勝ち点で並ぶ!を見ると、スポルティングもブラガも今期かなり好調なチームだったようです。

ジョゼアルバラーデ内部ゲート
↑【左】ブラガの選手が練習中。  【右】vodafoneといえば、ベンフィカかと思いきや…。↑

ジョゼアルバラーゼオーロラビジョン
【右】スポルティング・ブラガのスタメン発表。↑

 男性アナウンサーが両チームのスターティング・メンバーを読み上げる頃になると、どこからともなく観客が増えてきて、アナウンサーが野太い声で「なんとか なんとか なんとか かんとか、スポーールティーーン!!」と早口言葉のようにまくしたてると、会場のサポーターがそれに続いて「スポーールティーーン!!」と大合唱。
 試合開始直前になり、スタジアムはみるみるうちにサポーターで埋まってきました。
 一見地味なカードに思えますが、観客数が多いことに驚きました。意外にも…と言っては失礼ですが、ほぼ満席。ブラガ・サポーターは100人くらいで、残りはスポルティング・リスボンのサポーター。
 試合前のジョゼ・アルバラーデに、ワム!の『ラストクリスマス』が流れてきて、●●がゴキゲンに。クリスマスまであと13日。…と言うことは、今年も残すところ20日。海外にいると、年末という感じがしません。

 21:15、キックオフ。

キックオフホッチェンバックのコーナー
【左】21:15、キックオフ。  【右】元バルセロナMF、ロッチェンバックのコーナーキック。↑

ご覧のとおり、ほぼ満員
↑サタデー・ナイトは、ジョゼ・アルバラーデでフィーバー。

手前にいるブラガ・サポーター
↑ブラガ・サポーターの目の前で、スポルティング・リスボンが牙をむく?

 ブラガのチームカラーは、白×赤。スポルティングのチームカラーは、白×緑。かけ合わせるとクリスマスツリーのカラーになるからか、試合は拮抗。どちらもショートパスをつないでいい攻撃をするのですが、フィニッシュの決定力に欠けていました。特にスポルティングは、コーナーキックも多かったのですが…。

ハーフタイムスポルティングは獅子
【左】ハーフタイムは真っ暗に。  【右】獅子はスポルティングのトレードマーク。↑

 ハーフタイムは、広告上映のため、スタジアムが真っ暗に。そして、後半戦がスタート。すると、スポルティングの選手が、ウォーミングアップを開始。ラパイッチやロナウジーニョがドリブルしてきたらぶつかってしまいそうなくらい、ピッチの間近でした。何もこんなところでアップしなくても…。

ウォーミングアップを開始攻めあぐねる両チーム
↑スポルティングの選手がウォーミングアップを開始。↑

ブラガの攻撃
↑ブラガがフリーキックのチャンス。

両チームとも足が
↑両チームとも、後半になって足が止まりました。

 後半も、両チームとも決め手がありません。ショートパスはつながるものの、重苦しい雰囲気を打ち破る選手は現れません。

 そして、23:10、試合終了。結局 0-0 のスコアレスドローでした。

ユーロ準決勝の会場なんとなく大航海時代
↑【左】結局スコアレスドロー。  【右】何となく、大航海時代を連想させる柱。↑

メトロ、カンポグランデ駅チケット
【左】カンポ・グランデ駅。  【右】7 Colinas(上)とサッカーチケット(下)。↑

 カンポ・グランデ駅は混んでいたものの、待たずにメトロに乗車でき、3つ目のカンポ・ペケーノ駅下車。 23:30にHOTELベルナに着きました。

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2004年12月12日

【12】 リスボン

リスボン LISBOA

 楽しい時間はすぐに過ぎるものです。
 あっという間に、ポルトガル観光最終日。7:15に起床しました。

 本日は、まだ行っていない国立アズレージョ美術館、サンタ・エングラシア教会、サンタ・ジュスタのエレベーターなどへ向かうことにしました。
 7 colinasのチャージは、今日で最後。メトロの窓口で、1日分(2.9ユーロ)をチャージしてもらいました。

 朝食後、メトロでフィゲイラ広場まで行き、国立アズレージョ博物館方面へ向かうバスを探しましたがよく分かりませんでした。フィゲイラ広場の西にあるバスチケット売り場で、バス停の場所をたずねると、コルメシオ広場に行きなさいと言われ、徒歩でコルメシオ広場まで行きました。

フィゲイラ広場105番バス
↑【左】フィゲイラ広場のドン・ジョアンI世像。  【右】105番バス。↑

バス停のマップバスの車内
↑【左】バスの路線図と時刻表。  【右】大きなつり革。↑

 104番・105番のバス停を発見。これに乗ってIgleja Madre de Deusというバス停で下車すれば、国立アズレージョ美術館に行けるようなので、しばしバス停で待つことに。日曜日なので平日よりもバスの本数が少ないようです。
バスを待ちながら上空を見上げると、今日は曇り空。

 105番のバスが来たので乗車しました。バスは東へ向かい、10分ほどでIgleja Madre de Deusに着き、下車。
 ちなみにIgleja Madre de Deusとは、マドレ・デ・デウス教会という意味。アズレージョ美術館は、マドレ・デ・デウス教会を改装した建物なのです。

Museu Nacional do Azulejo入口
↑【左】国立アズレージョ美術館。  【右】入口。↑

 アズレージョ美術館は、日曜日なので入場無料(日曜以外は1人3ユーロ:420円)。アズレージョの作成方法の展示から始まり、宗教的なアズレージョ、近代的なアズレージョ、マドレ・デ・デウス教会に残されたアズレージョなど、さまざまなアズレージョが展示されていて、見る目を飽きさせません。10:20から11:10までじっくり見学しました。

アズレージョ美術館アズレージョ美術館
↑大きさも、時代もさまざまなアズレージョ。↑

きれいなアズレージョ
↑この色も、いいね。

アズレージョ美術館アズレージョ美術館

修道院を改装緑のアズレージョ

階段黄金の礼拝堂
↑【左】美術館の階段にも、アズレージョ。  【右】金色の礼拝堂。↑

礼拝堂の天井
↑きらびやかな、礼拝堂の天井。

1階の回廊
【右】1階の回廊。↑

 でも、■■はオビドスのホテルの食堂で見たアズレージョが、
 ●●はポルト・サン・ベント駅のアズレージョが、
 それぞれいちばんのお気に入りです♪

 余談ですが、12月12日(日)は、日本でトヨタカップが開催された日。■■と●●が7日に観たFCポルト(ポルトガル)と、オンセ・カルダス(コロンビア)の対戦。日本時間の19:05キックオフ、と言うことは、ポルトガル時間の10:05キックオフ。つまり、■■たちがアズレージョ美術館を見学していたときに、FCポルトは横浜でサッカーしていたのです。
 105番のバスで西へ戻り、サンタ・アポローニア駅前バス停下車。

サンタ・アポローニャ駅アルファマ地区
↑【左】サンタ・アポローニア駅。  【右】アルファマ地区の坂の途中。↑

 ここから坂を歩いて登ると、5分ほどでサンタ・エングラシアに到着する…はずですが、このあたりは道が複雑で、地図を見てもよく分かりません。坂が多く、意外に高い建物(5階建ての共同住宅など)が多く、道が狭いため、本当に近くに行くまで、教会の姿は見えないのです。
 歩いてきたおばさんに道をたずねると、■■たちの言葉がつうじなかったためか、近くのカフェのようなところに入り、そこにいたおばさん仲間と「あーでもない、こーでもない」とがやがや相談し始めました。このあたりはアルファマ地区と呼ばれる、リスボンの下町。ポルトガルでも、下町のおばさんパワーはすごいです。
 ●●が「サンタ・エングラシア」と発音良くたずねると、「あー、サンタエングラシアかい。あっちだよ。」と道を教えてくれました。
 「オブリガード」でお別れし、坂道を歩いていくと、石畳に雨が、ぽつぽつと。
 ずーーっとカバンに入れておいた傘が、旅行最終日になってようやく出番となりました。
 今まで、明らかに雨が降らなそうな日もたくさんありましたが、『傘を持っていると、雨が降らない』というジンクスを冗談半分で話し、結果的にずっと晴れ続きだったので、小さな折りたたみ傘をカバンの奥に忍ばせておいたのです。

共同住宅サンタ・エングラシア教会
↑【左】アルファマの共同住宅。  【右】サンタ・エングラシア教会がありました!↑

教会ドーム型の天井
↑【左】着いたときには、雨は止んでいました。  【右】ドーム型の天井。↑

 しかし、雨はものの5分ほどで止みました。教えられた道を行くと、ありました、サンタ・エングラシア教会。エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマを祀っています。
 屋上が展望台になっていて、そこまで登りました。


↑展望台への階段を登っていく途中、下を眺めると…。

 1684年から建設をはじめ、1966年にようやく完成したこの教会は比較的新しいため、展望台までの階段が(教会にしては)かなり広く造られていました。このため、それほど足と股関節に負担はかかりませんでした。

 さあ、展望台。同じリスボンでも、晴れた日より曇った日のほうがサウダージ指数が高いようです。見える景色がリスボンの下町、アルファマ地区であるので、サウダージ指数はさらに上がります。風が強く肌寒いので、あまり長居はしませんでしたが、いい場所でした。

展望台サンタ・エングラシア教会
↑【左】展望台。  【右】アルファマ地区はサウダージ。↑

テージョ河
↑展望台から見える、雲とテージョ川。

 それから105番のバスでコルメシオ広場まで戻り、広場の3本北の通りから、28番市電に乗車しました。
 時計は12:00。

コルメシオ広場のそば28番市電
↑【左】コルメシオ広場のそば。  【右】28番の市電。↑

28番市電セッテ・コリーナシュ
【右】7 Colinas Cardを、市電内の機械にかざすと、認識されてピッと鳴ります。↑

 観光に便利な28番市電。家族連れやスペイン人のカップルなどの観光客と、地元客が乗っていました。坂や曲がり角が多く、揺れながら西へ走るトラムは、遊園地のアトラクションのように楽しい乗り物でした。市電内で12月12日の12:12になり、ちょっと得した気分。
 国会議事堂、エストレーラ聖堂など、若干マイナーな名所を車窓から楽しみ、市電は終点へ。ここでいちど全員強制的に下車させられ、同じ市電にまた乗車しました。終点から再出発する場合、運賃が新たにかかるみたいでしたが、■■たちは『7 colinas(1日乗車券)』を持っているので関係ありません。

 帰りの28番市電、カモンエス広場という小さな広場で下車しました。12:35。

 「そろそろお腹が減ってきたね。」
 「今日もまたショッピングセンターに行って昼食をとろうか。」
 「どこの?」
 「メトロでコロンボまで行こうか?」

28番市電の天井市電の天井
↑【左】28番市電の天井。  【右】市電に揺られて、日曜日のリスボン散策。↑

市電の床アルマゼンス・ド・シアード
↑【左】市電の床。  【右】アルマゼンス・ド・シアード。↑

 …と話しながら歩いていると、アルマゼンス・ド・シアードというデパートを、カモンエス広場から東へ徒歩5分の場所に発見。「おっ!」と思って入ってみると、そこは4階。丘の上側から入ったので、4階が入口になっているのです。そして、最上階(6階)に行くとありました、フードコートが!
 昨日、あまりの美味しさにおどろいた、LOJA DAS SOPASもありました!あの味をもう一度!昨日と同じスープを1つ(2.5ユーロ:350円)を食べました。うーん、おいしい!しかも、昨日の店より今日の店のほうが、角煮がいっぱい入っていました。

LOJA DAS SOPAS
↑LOJA DAS SOPAS のスープ。

 その後、14:00、アルマゼンス・ド・シアードから歩いてすぐのバイシャ地区にあるサンタ・ジュスタのエレベーターへ。このエレベーターも、『7 colinas(1日乗車券)』で乗ることができました。

デパートの中サンタジェスタのエレベーター
↑【左】サッカーグッズのショップ。  【右】サンタ・ジュスタのエレベーター内部。↑

エレベーター外観
↑【左】細長いタワー上の外観の、サンタ・ジュスタ。  【右】エレベーター内部。↑

ロシオ広場
↑ロシオ広場の奥の建物は、ドナ・マリア2世国立劇場。

 エレベーターで上まで昇ると、展望台。骨組みが弱そうで、なんだか今にも壊れそうな展望台。しかも風が強くて、■■はかなりこわかったようす。●●は、意外に涼しい顔。
 「人骨堂よりよっぽどこわいよー、これ。」

らせん階段おみやげの絵はがき
↑【左】さらに上へ登るためのらせん階段。  【右】展望台屋上のカフェ。↑

サン・ジョルジェ城
↑サンタ・ジュスタ通りの向こう、丘の上にはサン・ジョルジェ城。

 12月4日に訪れたサン・ジョルジェ城は、丘の上に今日も健在(当たり前ですが)。オレンジ色の屋根の街並みが広がっているのは、ヨーロッパなら珍しいことではありませんが、このリスボンという街は、濃いオレンジと薄いオレンジの混ざり具合が実に美しいのです。計算しているのではないかと思うほど。
 とはいえ、恐怖感は完全には拭えず、居合わせた観光客のおじさんに写真を撮ってもらい、寒さのせいにしてエレベーターを下りることにしました。

撮影してもらいましたパステイス・デ・バカリャウ
↑【左】おじさんに撮ってもらった写真。  【右】パステイス・デ・バカリャウ。↑

 その後、まだ食べていなかったと思い、パステラリアでパステイス・デ・バカリャウ(1ユーロ)を食べていたら、また雨が降り出しました。

 雨宿りにと、またアルマゼンス・ド・シアードに戻り、カフェでひと休み。

 キッシュ2ユーロ(280円)
 ビール(SUPER BOCK)1.2ユーロ(168円)

 キッシュは電子レンジで温めてくれました。ホウレン草の味が口の中に広がります。

キッシュとスーペルボックグロリア線のケーブルカー
↑【左】カフェのキッシュとビール。  【右】グロリア線のケーブルカー。↑

 ビールを飲み終えた頃、筋書きどおりに雨が止んだので、少し街を歩き、15:50、グロリア線のケーブルカー(昨日の夜に写真撮影したケーブルカー)に乗車。丘の上に登りました。エレベーターやケーブルカーで登るとあっという間なのですが、実際にこの坂を登るとなると、かなりきついと思われました。

グロリア線のケーブルカー
↑出発進行!グロリア線のケーブルカー。

ケーブルカーの座席は木製
↑【左】ケーブルカーの座席は木製。  【右】細かい大理石を敷き詰めた石畳。↑

 ケーブルカーの停車したところから右に行くとすぐに、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台という、何やら難しい名前の展望台(公園)がありました。サンタ・ジュスタのエレベーターでさっき出会ったおじさんと、ここでまた偶然会ったので、また写真を撮ってもらいました。

さようならリスボンありがとう
↑【左】サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台へ。  【右】リスボンを見納め。↑

 さぁ、これでリスボンの景色は本当に見納めです。東に見える、サン・ジョルジェ城。そして、先程も述べたオレンジ色の屋根とベージュ色の壁の家々。

 「さよなら、リスボン。」
 「オブリガード、ポルトガル。」

lisbon map
↑【左】地図の先に、同じ景色が広がります。  【右】「さよなら、リスボン」↑

 大きな満足感と、少しばかりの切なさを胸に感じて、■■と●●の旅は、この瞬間、この場所で幕を閉じました。

 その余韻で、またスーパーに行き、おみやげ用のワインを数本購入。
 そして、夕食。

 22:20にHOTELベルナに戻ると、日本で開催されたトヨタカップの再放送がテレビ中継されていました。FCポルトがPK合戦の末、勝利。見事、クラブチーム世界一の座に。

おみやげ用ワイン新聞
↑【左】おみやげ用のワイン。  【右】昨日の試合結果が載ったスポーツ新聞。↑

FC Porto TOYOTA CUP
↑A BOLA誌。FCポルトの選手は、トヨタカップ前に秋葉原へ。

 もうこれ以上何も入らないくらい満杯になったスーツケース。逆に、つめこみ過ぎなかった今回の旅行行程。満面の笑みの■■と●●。そして、静かに更けていく最後の夜。こんなにいい場所、こんなにいい時間は、世界中を探しても、そう簡単には見つからないでしょう。

 「さよなら、リスボン。」
 「オブリガード、ポルトガル。」

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2004年12月13日

【13】 リスボン → ロンドン → 成田 → 自宅

 12月13日、6:00に起床。窓から外を見ると、小雨が降っていました。

 「今日は雨が降るような気がしたの♪」
 ●●が、いたずらっぽく笑って言いました。

 6:23、HOTELベルナのフロントに行き、タクシーを呼んでもらうと、3分でタクシーが来ました。
 夜道を進み、6:40、リスボン空港着。タクシー代は、運賃3.85ユーロ(539円)。荷物をトランクに入れたので、1.5ユーロ(210円)追加。電話で呼んだので、更に0.75ユーロ(105円)追加。合計6.1ユーロ(854円)でした。チップとして0.1ユーロ、合計6.2ユーロ(868円)を運転手に支払い、空港の中へ。

 ブリティッシュ・エアウェイズのカウンターには、日本人観光ツアーの団体が並んでいたので、その最後尾に並びました。列の途中に、新聞(英語、ポルトガル語)が束になって置いてあったので、いくつかゲット。
 カウンターの人に頼んで、座席(ロンドンから成田の便)を、行きと同じ38のFとGにしてもらいました。帰りのフライトスケジュールは、以下のとおり。

  BA499 リスボン8:20発 → ロンドン11:05着
  BA7 ロンドン14:35発 → 成田(14日)11:10着

 重たくなったスーツケースを預けて、さぁ、あとは飛行機に乗るだけ。…と思っていたら、最後の最後で、■■が失態を演じてしまいました。
 出国審査。■■のカバンが手荷物のセキュリティチェック(X線検査)で、ひっかかりました。何かと思ったら、今回の旅行で活躍したワインオープナーでした。凶器になるため、機内には持ち込めないとのことです。

 「あ~っ、スーツケースに入れるのを忘れてしまった!」

 いつでもワインが飲めるように、カバンに忍ばせておいたことが、仇になってしまいました。
 2001年にフィレンツェの雑貨屋で購入したワインオープナーが、ここリスボン空港で没収されてしまい、しょんぼりする■■。
 でも、Googleで『ワインオープナー 没収』というキーワードを入力して検索してみると、■■と同じ失敗をした人が多いことが分かります。だからと言って威張れたことではありませんが、旅行の最後でふと緊張感がとぎれてしまうので、こういうことが起きやすいのでしょう。

 「旅行は最後まで、気を抜いてはいけないんだなぁー。」。

ロンドン・ヒースロー空港
↑ロンドン・ヒースロー空港。

 …そんなこんなで、長かったポルトガル旅行が終わりを告げました。ロンドン→成田の便は、座席が半分ほどしか埋まっておらず、38のEとFには誰も座らなかったので、2人で4席分を使うことができ、ゆったりと帰国ができました。

ブリティッシュ・エアウェイズ機内食BA機内食
↑ブリティッシュ・エアウェイズの機内食。↑

ここに地終わり海始まる 帰りの飛行機内で、■■と●●は、日本に着いたら何を食べるかなどを相談。明日からは日常の生活が待っています。 日本への帰国もまた、明日への船出となるのでしょう。

 「この世のなかのありとあらゆることは、始まりばっかりなのかもしれない」

 躍動するポルトガル、いつかまた訪れたいと思える、すてきな国でした。

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2004年12月14日

【14-a】 ポルトガル・データ1

ポルトガル Portuguese Republic

 データで見るポルトガルです。

 首都:リスボン
 面積:9.2万平方km (日本の約1/4)
 人口: 1002万人 (77位 : 2001年)
 GDP: 1085億ドル (36位 : 2001年)
 1人あたりGDP: 10,828ドル (36位 : 2001年)
 国債の格付け: AA (2003年)
 軍事費: 22億ドル (2001年)
 平均寿命・男性: 73.6歳 (35位 : 2002年)
 平均寿命・女性: 80.5歳 (24位 : 2002年)
 宗教: キリスト教カトリック 97% (2003年)
 国連加盟年: 1955年

【14-b】 ポルトガル・データ2

 ポルトガルに訪れる外国人観光客の内訳(1997年)は、以下のようになっています。

 スペイン 493万人 (48.5%)
 イギリス 153万人 (15.1%)
 ドイツ 91.9万人 (9.0%)
 フランス 67.4万人 (6.6%)
 ノルウェー 43.7万人 (4.3%)
 アイルランド 23.8万人 (2.3%)
 ベルギー 21.8万人 (2.1%)
 アメリカ 21.3万人 (2.1%)
 デンマーク 12.2万人 (1.2%)
 スウェーデン 10.7万人 (1.1%)
 日本 3.1万人 (0.3%)
 (総数:1017万人)

 1997年のデータですが、印象どおり、日本人が少ないです。想像ですが、3.1万人のうち半数以上は、『スペイン・ポルトガル』パックツアーの観光客ではないでしょうか。その根拠として、日本人観光客の平均滞在日数は、わずか1.8日であることが挙げられます。
 リスボン万博、EURO2004、海外旅行の多様化などの要因により、現在ではもう少し日本人観光客数が増えていると思いますが、観光客1000人集めてもその中に日本人が3人しかいない国というのは、めずらしいかもしれません。

 1位はスペイン。陸続きなぶん、日本人が韓国に行くよりも気軽に、スペイン人はポルトガルに行くのでしょう。スペインの人口は約4000万人なので、スペイン人の8人に1人が毎年ポルトガルを訪れるということになります。

【14-c】 ポルトガル・おまけ

ポルトガルでやり残したこと

 今回の旅は非常に充実したものでしたが、当然やり残したことや見れなかったものもあります。
 いつかまたポルトガルを訪れるときのために、ここに備忘録をつくります。

(1) 闘牛
 冬場は闘牛オフシーズンのため、開催されていませんでした。スペインの闘牛と違い、ポルトガルの闘牛は、その場では牛を殺さないらしいです。

(2) 焼き栗
 焼き栗屋を幾度となく見かけましたが、食べる機会がありませんでした。日本の栗よりもふたまわりくらい大きな栗。どんな味がするのか、次回訪れたときには食べてみたいと思います。

(3) 工事中でないドン・ルイスI世橋
 ポルトのドン・ルイスI世橋が、残念ながら工事中でした。いつか、美しい姿を眺めてみたいです。

(4) まだ行っていない街
 セトゥーバル、パルメラ、セジンブラ、カスカイスなどのリスボン近郊の小都市。
 奇跡が起きたファティマ。
 世界遺産の修道院があるアルコバサ、バターリャ、トマール。
 ファロ、ラゴス、サグレス。
 ブラガ、ヴィアナ・ド・カステロ、ギマランイス、バルセロス。
 マデイラ島、アソーレス諸島。
 行ってないポルトガルの街はまだまだ多く、数え上げればきりがありません。■■が特に行ってみたいのは、マデイラ島。大西洋の真珠(真珠が多い国ですね~)と呼ばれるリゾート地で、のんびりと過ごしてみたいです。

(5) ファド
 聞けたら聞いてみたいです…という程度。■■は、バルセロナ(スペイン)ではフラメンゴを見ながら眠ってしまい、ベローナ(イタリア)では野外オペラ(『椿姫』)を見ながら眠ってしまった……という前科があるため、地味目なファドはなおさらこわいです。

使用したカメラ

 今回の旅行で使用したデジタルカメラは、 税込 【中古品】 フジフィルム (FUJIFILM) デジタルカメラ ファインピックス ≪FinePix 4700Z≫フジフィルムのFinePix4700Zです。ポルトガル旅行記の画像は、全てこのカメラで撮影したものです。2000年3月に発売された古い機種ですが、まだまだ現役。今回の旅で大活躍!それもそのはず、実は、世界初の『スーパーCCDハニカム』搭載機種なのです。
 ■■の実力以上の美しい写真がたくさん撮れました。

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