ナザレ NAZARE
ナザレの朝。7:05には、まだほとんど暗いままでしたが、7:30になると薄い朝焼けが見られるようになりました。7:50を過ぎると、昨日ケーブルカーで登った岸壁(オ・シティオ地区)を、朝日が照らし始めます。
↑【左】7:30。ナザレの朝。 【右】7:40。↑
↑【左】7:42。 【右】7:52。朝日が崖を照らし始めました。↑
■■と●●は、ナザレの砂と石を拾い、空のペットボトルに入れました。最も安価で、最も美しいおみやげが手に入りました。
↑海岸の石。
↑7:59。プライア地区よりもひとあし早く朝を迎える、崖上のシティオ地区。
9:00、mini preco(スーパーマーケット)に行き、缶ビールを購入。500mL缶が0.4ユーロ(56円)。独特の民族衣装を着たおばさんがスーパーで買い物をしている様子は、なんだかこっけいでした。
↑【左】泊まった宿、アデガ・オセアーノ。 【右】バスルーム。↑
↑【左】ナザレの路地。 【右】8:06。↑
↑【左】ナザレのカンガルー。 【右】9:54。本日も晴天です。↑
↑2005 PASSAGEM DE ANO NAZAREと書かれたポスター。
↑【左】絵になるベンチ。 【右】大西洋と崖と青空。↑
↑【左】ナザレのおばさん。 【右】コインブラ行きのバス。↑
今日は、10:50発ナザレのバスターミナル発でコインブラへ向かいます。
レイリアで11:35から12:00まで停車。コインブラには12:50到着。今まで(シントラ→ロカ岬や、リスボン→ナザレ)よりも運転が荒くないバスの中で、■■は、自分の肌の具合がいいことに気付きました。日本にいるときは目の周りがカサついていましたが、今は大丈夫。ポルトガルの気候と水が肌に合っているのか、日頃のストレスから開放されたからなのか、どちらなのでしょうか…。
コインブラ COIMBRA
ポルトガル最古の大学都市
コインブラのバスターミナルに、12:50到着。
コインブラは、リスボンに比べると古いままの建造物が目立ち、老朽化した壁や屋根が哀愁をただよわせます。これが、俗に言う『サウダージ』なのでしょう。
歩道はこの街も石畳なので、スーツケースを転がすのは非常に労力が要りました。途中に郵便局があったので、ロカ岬で書いた絵はがきを、遅ればせながら郵送。
バスターミナルを出てすぐの通りを南南東へひたすら歩き、およそ15分。めぼしをつけておいた、Residenciaルーザ・アテナスというホテルに着きました。入り口から、32段の階段(上りです)。エレベーターはなし(!)。スーツケースをどうにか運びました。2人1泊30ユーロ(4200円)。朝食付き。VISAカードは使えませんでした。
部屋は10畳程度+バス・トイレ。通りの見える角部屋・103号室。これ以上スーツケースを持ち上げなくてすんだのはラッキーでした。天井が2.5メートルくらいはあったでしょうか。アンティーク調の家具と、電気。バスタブつきですが、今までのホテルよりも浴槽が小さく、しかも浅かったです。
13:40にルーザ・アテナスを出発し、昼食をとりにアデガ・パソ・ド・コンデというレストランに向かいました。地図によると、ルーザ・アテナスから徒歩1分ほどで着くはずです。しかし、『個人旅行』の地図に載っている場所まで行きましたが、店が見当たりません。通りすがりのおじさんに、「アデガ・パソ・ド・コンデ!」と尋ねたら、場所を教えてくれました。あとで調べたら、『地球の歩き方』には正しい場所が載っていました。
↑【左】Residenciaルーザ・アテナス。 【右】アデガ・パソ・ド・コンデでランチ。↑
『個人旅行』は、スペイン(2000年)やドイツ(2001年)を旅したときに利用し、掲載されているレストランは当たりが多くて、地図も見やすく、「使えるガイドブックだなー」という印象を持っていました。しかし、ポルトガルの『個人旅行』は、休業中のレストランが多く載っており、今回のように地図も間違っていたりして、少ししょぼい印象を受けました。
それに比べ、今回の旅では『地球の歩き方』の情報の質・鮮度を再確認いたしました。
さて、アデガ・パソ・ド・コンデ
牛のステーキ(目玉焼きのせ)+フライドポテト+サラダ 4.35ユーロ
ワイン・ラブラドール375mL 1.5ユーロ
ワインは今回も赤を頼みました。ナザレで飲んだものよりも、甘さが控えめで、料理に合いました。コインブラ大学の教授(講師?)と思われる、白髪に白ヒゲの人たちが、3人で食事をとりながら資料のようなものを読んでいました。
14:32、レストランを出発。この街は、教会ではなく大学が丘の上に建っているのです。さすが、パリ大学、ボローニャ大学、サラマンカ大学に並んで歴史のあるコインブラ大学。
そのコインブラ大学を目指し、坂を登っていくと、路上駐車の車が多くとまっています。プジョーやオペルが多く、日本車も、トヨタとホンダはけっこうとまっていました。ちなみに、ホンダのFitは、ポルトガルではJazzという名前でした。
↑アルメディーナ門。
↑【左】FITではなく、JAZZ。
大学生にはたいてい英語が通じるので、道を尋ねるときなどに●●が活躍しました。
いつもこの坂を登っているコインブラ大学の学生は、さぞ体力がついていることでしょう。途中、旧カテドラルを通り過ぎ、ようやく坂を登りきって、鉄の門をくぐり、中庭へ。中庭からは、モンデゴ川を含む、コインブラの風景を眺めることができました(リスボンに比べるとスケールは落ちますが)。
↑【左】旧カテドラル。 【右】コインブラ大学、鉄の門。↑
↑【左】旧カテドラル。 【右】コインブラ大学のテラス。↑
↑コインブラ大学の中庭から見た、ラテン回廊。
↑【左】大きな図書館の門。 【右】絢爛豪華な図書館内部。↑
コインブラ大学内は、観光客も入れるようになっています。このシーズンは観光客もまばらで、ほとんどが大学生でした。
ラテン回廊を上がったところに、帽子の間と図書館のチケット売り場がありました。
現在、帽子の間は見ることができず、図書館だけ見学ができると説明され、とりあえず、図書館のチケット(1人2.5ユーロ:350円)を購入。1724年に建てられた図書館で、金ぴかな図書館。天井は高く吹き抜けており、2階部分の本はどうやって取り出せばいいのかよく分かりません。豪華な図書館ですが、どことなく『サウダージ』を感じさせてくれました。
コインブラ大学の観光者用トイレは、めずらしくチップが必要になっていました。もっとも、観光者用トイレのすぐ右に、学生用トイレがあるので、そちらに入ってしまえばチップは不要。
その後、坂道を下り、フェレイラ・ボルジェス通りへ。コインブラ随一のショッピング・ストリートですが、特筆すべきお店は見当たりませんでした。洋服は、意外と高いです。
↑【左】モンデゴ川とサンタ・クララ橋。 【右】ポルタジェン広場。↑
↑【左】ジョアン3世の像。 【右】サンタ・クルス修道院。↑
↑【左】修道院内のジオラマ。 【右】サンタ・クルス修道院。↑
通りの終わりに、サンタ・クルス修道院があったので見学し、17:00を回ったところでいったんホテル(Residenciaルーザ・アテナス)に戻りました。身じたくを整えて、夕食を食べにホテルを再出発したのが、18:45。
↑【左】いったんルーザ・アテナスに戻りました。 【右】O Convento。↑
モンデゴ川の対岸にある、O Conventoというお店に行きました。『個人旅行』には最も高い料理が3ユーロと書いてありましたが、まるっきりのウソで、実際には1品5~10ユーロが相場でした。しかもVISAが使えない!
EURO2004があって値上げをしたのかもしれませんが、ガイドブックならそのくらいのことは予想して、安易に値段を記載するようなことは避けてほしいと思いました。これなら、ホテルの近くで食事をしたほうがよかったです。
しかも、店員は、ポルトガル人にしてはめずらしく愛想のない人で、しかも「それだけしか注文しないのかい?」と言わんばかりの冷たい視線を感じました。この感じの悪さは、リスボンのタクシー運転手以来!
これ以上悪口を書きたくはありませんが、こういうことがあり、残念ながらコインブラという街自体の印象まで悪くなってしまいました。
昨日の発見のモニュメントと、ナザレの夕日があまりにもすばらしかっただけに、余計そう感じたのかもしれません。
帰り道、ライトアップも、少し地味。でも、橋の上から見る夜景は、やっぱりきれい。
↑サンタ・クララ橋から見た、丘の上のコインブラ大学。
↑モンデゴ川東岸。黄金の夜景。
リスボンやナザレよりも寒く感じるのは、北に来たからでしょうか。それとも……。
明日は、さらに北部へ向かう予定です。アヴェイロで途中下車するか、それとも直接ポルトに向かうか、まだ結論は出ていません。
20:20ホテルに到着。バスタブが浅くて小さくて、あやうく風邪をひくところでした。
暖房は、21:00にならないと、つきませんでした。むぅ。
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コメント (2)
ブログ見ましたよ!
写真が盛りだくさんで、見てて楽しいですね。
懐かしい風景ばかりで、落ち着きますね。
しかも、コインブラでは同じところに泊まっているではないですか!
新婚旅行ですか?
僕も次行くときは、女性と一緒に行きたいなぁ
投稿者: Takuma | 日時: 2005年02月11日 12:02
日時: 2005年02月11日 12:02
Takumaさん、書き込みありがとうございます。
コインブラのホテル(Residenciaルーザ・アテナス)は、建った当初はかなりの高級ホテルだったのでしょうねー。家具や照明、浴槽などは、昔っぽい高級感がありました。
新婚旅行は2年前で、東欧に行きました。大洪水の直後で、プラハの地下鉄が封鎖されていたときでした。今回で6回目でしたが、夫婦での海外旅行は、ちょっと他に比べられるものがないくらい楽しいです(*^-^*)
Takumaさんは、取材でポルトガルを訪れたのですね。Blogでの、ポルトガルサッカーの記事を楽しみにしています(他ではほとんど情報を得られませんので)。
投稿者: 管理人N | 日時: 2005年02月11日 23:43
日時: 2005年02月11日 23:43