パリ PARIS
フランスの首都。旅人を魅了し続ける花の都。
8月29日(火)。
エッフェル塔のゴールに歓喜した翌日は、10:00に起床。
目覚めてびっくり、■■の手には蕁麻疹のようなものが。
「なんだろう。虫刺されではないようだけど、かゆいなぁ。」
おそらく、ようやくパリに到着した安堵感から、長期旅行の精神的な疲労が目に見えるかたちで現れたのでしょう(幸い、帰国後あとかたもなく消失しました)。
本日は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがその太く短い一生を終えた町、オーヴェル・シュル・オワーズを訪れることにしました。
昨日駅でプリントアウトしてもらった時刻表によると、パリ(北駅)からオーヴェル・シュル・オワーズに行くには乗り換えが1回必要ですが、列車の本数自体はとても多く、11時台は4本。12時台も4本のRER(高速郊外鉄道)がオーヴェル・シュル・オワーズに向かいます。
↑【左】これは東駅。 【右】北駅に到着したRER(高速郊外鉄道)。↑
↑13:29発、ポントワーズ駅行きの電車は、34番ホームから出発。
ホテルでのんびりしたあと、雨の中歩くこと15分で北駅に到着。結局、以下のダイヤでオーヴェルへ行くことにしました。
パリ・北駅 13:29発 → ST.OUEN L'AUMONE駅 14:12着
ST.OUEN L'AUMONE駅 14:25発 → オーヴェル・シュル・オワーズ駅 14:35着
↑【左】RER車内。 【右】乗り換えをしたサントゥーアン・ローモーヌ駅。↑
13:29、RERのC線は時刻表どおり北駅を出発。 乗り換えるST.OUEN L'AUMONE(サントゥーアン・ローモーヌ)駅は、終点(ポントワーズ駅)の1つ手前の駅。
14:10、ST.OUEN L'AUMONE駅に到着したと思ってRERから降りたら、そこはなんと、1つ前のST.OUEN L'AUMONE LIESSE駅という名の駅でした!何と紛らわしいことでしょう。
そのことに気づいたのは、なんか変だと感じて改札で聞いたとき。改札にいた女性に「ST.OUEN L'AUMONE駅は次の駅よ。」と教わり、後から来たRERに、14:19乗車。
14:22、ST.OUEN L'AUMONE駅に到着。幸い乗り換えにも間に合いました。少し古い車両に乗ること4駅。14:35、オーヴェル・シュル・オワーズ駅に無事到着。
なお、オーヴェル・シュル・オワーズまでの行き方は、『フランス鉄道の旅 (地球の歩き方BY TRAIN)』にも詳しく記載されています。
オーヴェル・シュル・オワーズ
AUVERS SUR OISE
炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ終焉の地。パリから北西へ約30km。
天候は雨。オーヴェル・シュル・オワーズ駅の改札を出て左(西)に向かって歩くと、すぐにスーパーマーケット(SHOPI)があり、しばし西へ向かって歩き続けると、ゴッホが描いた『村役場 Mairie』がありました。アルルと同じく、実物のそばに、ゴッホの絵が展示されているので、見比べることができました。
↑【左】ゴッホの描いた『村役場』。 【右】昔とかわらぬたたずまい。↑
そして、道路を挟んで村役場の向かい側にあるのは、ラヴー亭。ピストル自殺を図ったゴッホが息を引き取ったのは、この古い旅籠屋の屋根裏部屋、1890年7月29日のことです。
↑ゴッホが37歳と4ヶ月の人生を終えた場所、ラヴー亭。↑
「どんよりしているからかもしれないけれど、何となく世紀末を感じさせる町だね。」
ラヴー亭の門は閉まっていたため、ラヴー亭の西側にある角を右(北)に曲がってちょっとした上り坂を進むと、左手に立派な門構えの観光案内所がありました。この門を含めた北方向。ここは、ゴッホが『オーヴェルの階段』という作品を描いた場所です。
↑【左】うねりの効いた『オーヴェルの階段』。 【右】左の門に入ると、観光案内所。↑
観光案内所では、ゴッホのグッズを多数販売していました。外国人が何人かいた他、日本人の初老夫婦がいて、「ヤッホー!」と声をかけられました。案内所のおばさんに日本語版のガイドマップをもらって外に出ると、雨は止んでいました。
↑【左】観光案内所。 【右】覗くと3D!おすすめは『ゴッホのアルルの寝室』。↑
↑【左】ショップを兼ねている観光案内所。 【右】オーヴェル城。↑
観光案内所から5分ほど東へ歩くと、目的の教会を発見。
ゴッホの描いた絵のおかげで、世界的に有名な『オーヴェルの教会 L'eglise d'Auvers』。
山口智子女史や大橋巨泉夫妻がここを訪れたテレビ番組を見てから、いつかここを訪れたいと思っていました。その願いは、思ったより早く、今日かなえることができました。
↑『オーヴェルの教会』。右側の街灯を入れずに撮影するのに、苦労しました。↑
同じゴッホゆかりの地でも、アルルとは対照的なオーヴェル。観光案内所には数人観光客がいたものの、道を歩いていて観光客と遭遇することはほとんど無かったです。それがまた、いい具合に哀愁を誘いました。
秋が近づいてきたとはいえ、8月のフランスでこのように人の気配が少なく、それでいて誰でも知っている場所が他にあるでしょうか。この教会の前に立つ瞬間ためだけにでも、パリからオーヴェルに来る価値は十分あると思いました。
↑【左】『オーヴェルの雨』。 【右】悲しい情景。↑
アルルの旅行記で触れたように、ゴッホは1888年12月23日に自らの左耳を切り落としたあと、1889年5月から約1年間のサン・レミでの入院生活を経て、1890年5月20日にオーヴェル・シュル・オワーズにやってきました。そして、7月27日に自らの胸めがけてピストルを発射し、その2日後、1890年7月29日に上述のラヴー亭で亡くなりました。
↑【左】ゴッホの眠る墓地へ続く道。 【右】墓地の案内図。↑
「この道~は~、いつか来た道~♪」
オーヴェルの教会を鑑賞したあと、墓地を目指して北東に向かって歩きました。麦畑が広がる田園風景に、舗装が痛んだ道が続いているだけでしたが、その道中にはゴッホが作品『雨』を描くために画架を置いた場所などがあり、飽きることはありませんでした。
進んでいくと、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと、その弟テオが眠る墓地がありました。
↑。
ここでは、ゴッホ兄弟のほかにも、ラジョン、ゴーヌット、ミュレル、ボッジョらが永い眠りについています。
その後、オーヴェルの教会やゴッホ公園を巡り、オーヴェル・シュル・オワーズ駅へ戻りました。
↑【左】ゴッホ公園。 【右】オーヴェル・シュル・オワーズ駅から教会が見えました。↑
ゴッホのすばらしさは、すでに多方面で語りつくされているでしょうし、逆にまだ語られていない切り口があるとすれば、それは単に奇をてらったものになる可能性が高いはずです。
ただ、(今回の旅行のテーマは挑戦なので、)恥を恐れずここに記しましょう。
ゴッホの絵のすばらしさは、『この世の中をどう見るか、世の中がどう見えるかは、自分の目(こころ)次第なんだということ』を教えてくれるところ。■■はアルルとオーヴェルを訪れ、そう感じました。
オーヴェル・シュル・オワーズ駅 17:14発 → ST.OUEN L'AUMONE駅 17:23着
ST.OUEN L'AUMONE駅 17:29発 → パリ・北駅 18:11着
パリ PARIS
フランスの首都。旅人を魅了し続ける花の都。
晴れ空が戻り、オーヴェルからパリへ戻るRERの中では、濡れた靴下を乾かせるほどの日差しが出てきました。
パリ・北駅から、メトロ4号線でシャトレ駅まで行き、この旅行最後のディナーを、オ・ピエ・ド・コションでとることにしました。
禁煙席を希望したのですが、はじめは喫煙席のすぐ隣の席に案内され、タバコの煙を強く感じたので、ウェイターにその旨を伝えたら、喫煙席からいちばん遠い奥の禁煙席にかえてくれました。
↑豚足のグリルは、シェアしたのでこれで半人前。すごいボリュームでした。
↑【左】かわいいイメージキャラ。 【右】オ・ピエ・ド・コション。↑
豚足のグリル(16ユーロ、2,400円)をオーダーし、1人前をシェアしました。コラーゲンたっぷりの、マスタードのようなソース。最後の晩餐にふさわしい夜でした。
1ヶ月間移動しっぱなしの旅は、おそらく最初で最後でしょう。
テーマは挑戦。
旅自体もそう。
スーツケースを持たず、リュックだけの旅も初。
最後に、豚足に挑戦♪
ラストディナーは、18:50から20:20までで終了。
店を出て、ルーブル美術館の方向へ歩いていくと、ちょうど夕暮れ時。
↑【左】オブジェが多いパリ市内。 【右】赤く染まり行くパリの街並み。↑
「雨のあとの夕暮れは、きれいだね♪」
「やっぱり、パリに来てよかった♪ 散歩が楽しいのが、パリのいいところだね。」
↑【左】20:49、ルーブル美術館に着きました。 【右】芸術的な美術館。↑
20:55、ルーブル美術館のピラミッド前に到着。カルーゼル凱旋門のさらに遠方にエッフェル塔が見え、21:00になると昨日と同様スパークを始めました。
↑【左】カルーゼル凱旋門とエッフェル塔。 【右】ルーブル美術館内。↑
↑21:27。砂漠よりもルーブルにあることで美しさを増すピラミッド。
それからしばらく2人とも、ダヴィンチ・コードで何かが埋まっていたピラミッドの傍らで、日が暮れるのをぼんやり眺めていました。
21:30に帰路に着き、メトロ1号線と4号線を乗り継いで、21:55にオテル・ド・パリ着。
この日で、旅行という名の靴下を脱ぎました。
明日はいよいよ最終日。ラストに訪れた街は、この旅行でいちばん花の美しいところでした。ランキングに協力してくださる場合、こちらの文章をクリックしてください。