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2006年08月24日

24b) クレルモン・フェラン → ブールジュ

クレルモン・フェラン Clermont-Ferrand

人口約140,000人。火山群に囲まれた、ミシュランのお膝元。また、パスカルの生誕地でもある、黒い街。

 ル・ピュイ駅 11:46発 → クレルモン・フェラン駅 14:11着

低床式の列車クレルモン-Fの街並み
↑【左】曲線を多用したデザインの電車。  【右】黒い町、クレルモン・フェランに到着。↑

 電車は予定より3分遅れて、14:11、クレルモン・フェラン駅に到着。駅から街の中心までは、1kmほど離れています。駅から西へ伸びているAvenue Charrasという通りをしばらく歩くと、パスカル通り(Rue Pascal)に辿り着きました。パスカル通りは、聖母被昇天大聖堂の東側を南北に走る、約200mほどの石畳の道。もちろん、天才哲学者兼科学者・ブレーズ・パスカルの名をとってつけられたものです。

パスカル通りパスカルの小道
↑【左】パスカル通り。  【右】「人間は、考える葦である。」↑

 クレルモンは、パスカルの生誕地。そしてのちに、クレルモンモンフェランが合併し、クレルモン・フェランという1つの街になりました。

『人間は一茎(ひとくき)の葦にすぎない。自然界で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。』
クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていただろう。』

 ……早熟の天才と呼ばれるパスカルですが、晩年にこのような名言を多く残しています。理性を旗印にしたデカルトに対して、感性を重視したパスカル。ダ・ヴィンチやゴッホに比べれば日本での知名度は低いですが、彼の故郷を訪れるという体験は、なかなか味のあるものでした。

黒い聖堂クレルモン・フェラン
【右】ヴォルヴィック石で造られた聖母被昇天大聖堂。↑

聖母被昇天大聖堂(ノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂)
↑ゴシック様式の聖母被昇天大聖堂は、クレルモン・フェランのシンボル。

 パスカルの道のすぐ西には、近隣の火山から切り出されたヴォルヴィック石で造られた聖母被昇天大聖堂(ノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂)がありました。この大聖堂が黒いのは、そのためです。

「ル・ピュイの黒いマリア像の次は、クレルモン・フェランの黒い大聖堂かー。今日は黒づくめの街に、黄金の精神を見たような気がするね。」

 聖母被昇天大聖堂の南側には、ミシュラン(MICHELIN)のショップがありました。世界最大のタイヤ会社であり、地図やガイドブックの出版でも有名なミシュランは、ここクレルモン・フェランに本社があるのです。ミシュランの従業人数は世界に約14万人。ここクレルモン・フェランの現在の人口とほぼ同数というのは、不思議な一致。
 ちなみに、ゴーストバスターズのマシュマロマンに似たこのキャラクターの正式名は、ビバンダム(BIBENDUM)君。


↑【左】聖母被昇天大聖堂の全景。  【右】ミシュランのショップ。↑

クレルモン・フェランの地図

 また、聖母被昇天大聖堂の南側にあるヴィクトワール広場(Place de la Victoire)に面して、観光案内所があったので、例によってスーパーマルシェの場所を尋ねました。定番のモノプリだけでなく、シャンピオンというスーパーもあるとのこと。
 ジョード広場(Place de Jaude)の南西のRue Barriere de Jaude通りにあったスーパーマルシェ、シャンピオン(Champion)は、モノプリよりも大型の店舗でした。

 鳥の丸焼き(Poulet Rotissoire) 6.5ユーロ(975円)
 チョコプリンケーキ(直径22cm) 3.0ユーロ(450円)
 クレープの皮(300g) 1.44ユーロ(216円)
 バゲット 0.4ユーロ(60円)

 気のせいかもしれませんが(おそらく気のせいに違いないと思いますが)、理性に偏らずに心情を称えるパスカルの黄金の精神が、インフォメーションの人やスーパーで出会った人などクレルモン・フェラン市民にも受け継がれている気がしました。

スーパーマーケット・シャンピオンChampion店内
↑【左】シャンピオンの外観。  【右】入ってすぐにあるのは、やはり野菜売り場。↑

「クレルモン・フェランのラストは、パスカルの格言で締めたいなぁ。」
「パスカルの格言の中で、旅行に関するものはちょっと思いつかないですね~。」
「『世の中にはあらゆるよい格言がある。人はそれらの適用にあたって、しくじるだけである。』っていうパスカルの格言があるよ♪」
「それは寡聞にして知りませんでした(^o^)。」

 シャンピオンでゆっくり買い物をしたため、16:17の電車には間に合わず、16:46発の電車に乗ることになりました。
 昨日リヨン・ペラシュ駅で調べてもらったダイヤによると、クレルモン・フェランからブールジュまでは、2回乗り換えが必要のようです。

 クレルモン・フェラン駅 16:46発 → ムーラン・シュル・アリエ駅 18:04着
 ムーラン・シュル・アリエ駅 18:14発 → ヌヴェール駅 19:04着
 ヌヴェール駅 19:36発 → ブールジュ 20:15着

 ちなみに、クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)とムーラン・シュル・アリエ(Mourins sur Allier)はオーヴェルジュ地方。ヌヴェール(Nevers)はブルゴーニュ地方。ブールジュ(Bourges)はサントル・ロワール地方。
 フランスは、パリから各都市へは路線があらゆる場所に伸びていますが、地方都市から地方都市へ移動するときはローカル線の本数が極端に少ないので、このような移動の場合は事前に調べておくことが大切です。

 16:46、クレルモン・フェラン駅を出発した電車内は、乗客も半数以下。フランスのローカル線(ter)は、車両の中央だけ、向かい合えて大きなテーブルがある座席配置なので、そこに座って、シャンピオンで購入した鳥の丸焼きとチョコプリンケーキを食べました。

鶏肉料理デザート
↑【左】ボリューム満点、鳥の丸焼き。  【右】チョコプリンケーキ。↑

 18:04、ムーラン・シュル・アリエ駅到着。ここでてっきり電車を乗り換えると思っていたのですが、乗り換えは必要なく、同じ電車がそのまま18:14に発車しました。ムーラン・シュル・アリエ駅でさらに乗客は減り、1車両に■■たちを含めて6人程度に。フランス国鉄は全車両になったはずですが、前方車両の乗客がタバコを吸って窓の外に煙を出していたのでしょう。■■と●●も窓を開けていたため、タバコの煙が中に入ってきました。

「せっかくの香り高いブルゴーニュの空気が、台無しだなぁ。」

 電車はオーヴェルジュからブルゴーニュへ入り、19:04、ヌヴェール駅着。ここで電車を乗り換え、19:36発。駅員には、日本語読みで『ブールジュ』と聞いても、ぜんぜん伝わりませんでした。『ル』は全く発音せず、『ジュ』もほんのおまけ程度。単に『ブゥー!』と発音すると、伝わりました。フランス語って難しい…。

ブールジュ Bourges

人口約70,000人。ゴシック様式の傑作、サン・テティエンヌ大聖堂は、1992年世界遺産登録。

 20:12、電車は予定より3分早く、ブールジュ駅に到着。駅で明日の目的地への時刻表をもらい、それから今日の宿へ。

ブールジュのホテル
↑昼下がり…ではなく、20:23のブールジュ。右の建物が、Inter Hotel Le Berry

Inter Hotel Le BerryBourges
↑【左】ホテルにチェックイン。  【右】駅から近いホテルがいちばんです。↑

 ホテルは駅のすぐ前(徒歩30秒)。Inter Hotel Le Berry。到着して初めて気がつきましたが、昨日と一昨日に泊まっていたリヨンのホテル(Inter Hotel Axotel Perrache)と同系列のホテルでした。20:30、チェックイン。2人1泊1室57ユーロ(8,550円)。この時間でもまだ外はそれほど暗くありませんでした。
 ブールジュは『光の宵(Les Nuits de Lumiere de Bourges)』と呼ばれる夜のライトアップが美しいらしいので、暗くなるのを待って、21:25に街へ向かって出発。

光の宵木組みの家
↑【左】鮮やかにライトアップされた、夜のブールジュ。  【右】木組みの家。↑

 ブールジュの世界遺産、サン・テティエンヌ大聖堂(世界遺産への登録名はブールジュ大聖堂)までは、ホテルから徒歩で南下して18分くらいでした。大聖堂までの道のりには、赤ちょうちんの和食屋(結構にぎわっていた)や、フランクフルトのレーマー広場などにありそうなドイツっぽい木組みの家などがありました。


↑【左】犯罪抑止効果があるといわれる青い光の奥には、サン・テティエンヌ大聖堂。↑


↑どことなく不気味に見える、アーチ部。

Bourges大聖堂カテドラル
↑漆黒の闇に浮かび上がるサン・テティエンヌ大聖堂。↑

 サン・テティエンヌ大聖堂は確かにゴシックの傑作と言われるだけあり、すごいボリューム感でしたが、補修中のネットが前面に張ってあったりして見た目はいまいちでした。海外の団体客も、夜ライトアップされた大聖堂を見にきていました。

 ジャック・クールの館というスポットにも行ってみましたが、明かりが暗く、静寂が不気味だったので早々に立ち去り、ホテルに戻りました。


【右】人影がまばらで不気味だった、ジャック・クールの館。↑

 22:10、ホテルに到着。明日の朝も出発は早いので、支払いを済ませました。1泊1室ユーロ(円)。■■がカードのサインをしたら、若いフロントの男性が漢字を見て驚いたので、●●が「日本人は6歳から12歳までで、およそ1000個の漢字を覚えるのです。100個じゃないですよ。1000個です♪」と教えたら、さらに驚いていました。

「ブールジュの人口はクレルモン・フェランの約1/2だけど、街の規模はだいたい1/3くらいかな。あくまで歩いてみた印象だけど。」

 ブールジュのホテル・Inter Hotel Le Berryは、リヨンのインターホテルよりも宿泊費が高かったにもかかわらず部屋が狭かったですが、これは今日の到着が遅かったせいもあるでしょう。

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