モン・サン・ミシェル MONT SAINT-MICHEL
人口わずか40人の、奇跡の孤島。モン・サン・ミシェルは、1979年世界遺産登録。1987年に、新たにその湾も含めて世界遺産登録。
まずモン・サン・ミシェル島内を散策。細い路地、階段は、観光客で溢れかえっていました。あっちもこっちも人がいっぱい。人口はわずか40人ですが、実測の人口密度は、おそらくこの旅で訪れた場所の中でいちばんでしょう。ただし、昼間だけですが。
↑【左】モン・サン・ミシェルの、細い大通り。 【右】大勢の観光客。↑
反時計回りに進み、少しずつ坂や階段を上がっていき、ブクル塔(Tour Boucle)、そして北塔(Tour du Nord)へ。
↑【左】ブクル塔の窓から顔を出す●●。 【右】見上げると、修道院。↑
↑【左】旅はクライマックスへ。 【右】島の東側まで周ってきました。↑
北塔までくると、修道院の東側がかなり近くに見られました。ここからは階段がさらに急になりましたが、思ったよりも早く修道院まで到達できました。
↑【左】北塔。 【右】干潟を歩く人がいました。↑
2006年6月--■■たちがモン・サン・ミシェルを訪れる2ヶ月前--、ワールドカップ・ドイツ大会のスペインvsフランス戦。ジダンがプジョルを飛び越えて鮮やかなダメ押しゴールを決めたとき、NHK町田右アナはこう実況しました。
『時計の針を巻き戻したジダン!』
多くのサッカーファンが涙を流した名文句でしたが、実はここモン・サン・ミシェルでも、時計の針を巻き戻そうとする試みが始まっています。
それは、モン・サン・ミシェル湾にそそぐクエノン川にダム(クエノン・ダム)を造ってその水流を利用し、大陸とモン・サン・ミシェルの間に堆積した沈積物を完全に取り除くという壮大な計画。ダムの上の遊歩道は、モン・サン・ミシェルを眺めるのに絶好のビューポイント。そして、モン・サン・ミシェルと対岸を結ぶのは、歩行者とシャトルバスだけが通れる、橋げたが非常に細い橋だけとなります。この工事は、2012年に終了する予定。
↑【左】階段で疲れたら、ひと休み。 【右】修道院内部。↑
修道院の無料で入場できるスペースには、この海洋環境復元に関する展示などがありました。
「う~ん。どこも人が多くて、疲れるね。」
「今日はちょうど土曜日だしね。」
「この場所が持つ引力に引き寄せられて、今日も、明日も、そしておそらく明後日も、モン・サン・ミシェルは観光客でいっぱいだね。」
かなりツーリスティックな雰囲気の修道院を後にして、帰りは別のルートを下って、島の外へ。
↑【左】歴史博物館。 【右】修道院の壁にみられた苔。↑
↑島から見た南方向。2012年に対岸と島は細い橋だけで結ばれ、駐車場は廃止の予定。
その後、モン・サン・ミシェルの遠景を見るため、バスが通った人工の堤防上の道を対岸へ向かって歩きました。モン・サン・ミシェル島の入口・突出門(Porte de l'Avancee)を外に出ると、西から東へ強風が吹いていました。
↑【左】満潮時刻を示した案内板。干潟の底無し沼に関する注意書きもありました。
この風では空飛ぶカモメもつらいでしょうが、■■と●●もつらかったです。■■にとっては、鼻水が出ることよりも、カメラがきちんとホールドできずに写真撮影に影響がでることのほうが問題でした。
↑15:59。
不思議なもので、しばらくモン・サン・ミシェルを眺めていると、強風にも少し慣れてきました。このモン・サン・ミシェルを鑑賞しつつ、その背後の空をスクリーンとして、これまでの道程を回想してみました。尖塔の左側にはフランス、右側にはイタリアの思い出が…。
↑16:14。車道の脇から撮影。
--- この景観は、なんのためにあるのでしょう? ---
「何となく、タオルミーナのイソラベッラに似ているね♪」
「…あっ、確かにそうだね。細い道が、陸と島をつないでいるところが。」
「懐かしいねぇ。タオルミーナはあんなに暑かったのに、モン・サン・ミシェルは長袖を着ていても肌寒いよ。」
「壮大な夏物語が最終章に入ったのだから、それも無理ないね♪」
「旅したら 騒がしい風が吹き はぐれそうな天使が 私のまわりであわててる♪」
「潮風に 体ごとさらしたら 少しは楽になると 思いたった私が不思議♪」
--- この景観は、なんのためにあるのでしょう? ---
↑16:26。車道の西側、一段低い場所から撮影。
↑【左】16:45。西からの風はかなりの強さ。 【右】島の入口・突出門。↑
再び島内に戻り、モン・サン・ミシェル島の入口・突出門をくぐると、左側にはインフォメーションがあります。そして右側には道が続いていて、もう1つの門(大通り門)を通るとすぐ左に、有名なプーラールおばさんのオムレツ・レストラン、La Mere Poulard(ラ・メール・プーラール)がありました。
トンテンカンテン……店の入口から聞えてくるリズミカルな音。赤い衣装を着た人が卵をかき混ぜてオムレツを作っていましたが、値段が高いためか、店内にお客の姿はほとんどありませんでした。
↑【左】ラ・メール・プーラール。 【右】オムレツを焼く様子。↑
元来モン・サン・ミシェルのオムレツは、巡礼者に安くてボリュームのある料理を食べてもらおうとプーラールおばさんが考案したもの。それなのに、オムレツ1人前が30ユーロ(4,500円)という価格設定は、プーラールおばさんの精神に反するのではないでしょうか。
↑干潟を歩くツアーに参加し、戻ってきた人たち。
モン・サン・ミシェルは、巡礼地ではなく、観光地。いい意味でも悪い意味でも、■■たちはそう感じました。オムレツ以外の物価も概して高く、食べ物はル・ピュイの約2倍。路地裏も、城壁の苔も、それほど風情はありませんでした。まぁ、聖地だと期待して訪れると少しがっかりしますが、観光地としては文句なく特Aランクでしょう。
18:30、ホテル・Les Terrasses Poulardに帰着。
実は先ほどの観光出発前、バスタブにお湯を張り、その中にあるものを入れて暖めておいたのです。それは、2日前にクレルモン・フェランのモノプリ(スーパーマーケット)で購入したラタトゥイユの缶詰(1.19ユーロ、178円)。
さっそく缶を食べようとすると……、なんと缶切りが必要なタイプの缶詰でした。この旅行でこれまでにいくつか缶詰をモノプリで購入しましたが、これ以外は全て缶切り不要のイージーオープン缶だったので、この缶詰もそうだと勘違いしてました。
仕方なく、ホテルのレストランで缶切りを借りようとしたら、店員に「ここには缶切りは無い。」と言われてしまいました。レストランに缶切りが無いわけないだろうと思い、何度も聞き返しましたが、「無い。」の一点張り。しかも、お皿とスプーンも貸してくれませんでした。
このホテルの名は、何を隠そう Les Terrasses Poulard(レ・テラス・プーラール)。そう、卑しくもプーラールおばさんの名を冠しているのに、優しさとか慈愛の精神とは程遠い空間でした。
「ノトーリアス・プーラール!!」
「困ったね~。」
こうなると、何としても缶詰を食べたくなるのが人情。缶詰を持ってモン・サン・ミシェルを彷徨う■■。ホテルのそばにあったChez Madoというレストランの裏口に、携帯電話をいじっている体格がよい調理師の姿が見えたので、駄目もとで「Please would you open it?」と頼んでみたら、調理師は少し面食らった顔をしたものの「OK!」と快諾。調理場内のコンパスのような缶切りで、あっという間に開けてくれました。
プーラールの志を継ぐ者にお礼をして、部屋に戻って食べたラタトゥイユは、期待を超える美味しさでした。これから■■と●●は、ラタトゥイユを食べる度に、このエピソードを思い出すことでしょう♪
↑【左】お土産屋で売っていた置物。 【右】19:28。まぶしい西日。↑
日没にあわせてモン・サン・ミシェルの全景を見ようと、20:45に再び突出門の外に出てびっくり。潮が満ちてきて、昼に路線バスが停まったバス停と駐車場が、海に飲み込まれようとしていました。潮の満ちるスピードは想像よりも早く、21:29になるとバス停は浸水。水面を観察したところ、本日の満潮は21:50頃でした。
↑【左】20:57。 【右】21:29。左の写真と同じ場所ですが、バス停が水没。↑
また、一般に夏は、緯度が高い場所ほど(北半球の場合、北に行くほど)、日没は遅くなります。モン・サン・ミシェルは北緯48度。稚内市宗谷岬(北緯45度)よりも北にあります。
そのため、本日のモン・サン・ミシェルは8月下旬でありながら、21:00を過ぎてもまだだいぶ明るく、21:30になってもまだ空は少し青く、22:00になってようやく真っ暗になるくらい、日没が遅かったです。
↑【左】21:34。 【右】21:49。↑
そして、はぐれそうな天使がどこかへ吹き飛ばされそうなほど、夜は更に風が強くなっていました。まるで、どこもかしこも地下鉄や東京ドームの出入り口になったかのよう。いや、それ以上の強風でしょう。当然、夜景の撮影は困難を極めました。
しかし、闇に浮かび上がるモン・サン・ミシェルは、見惚れて転びそうになるくらい。吹き荒れる風の音も、潮の急激な満ち干きも、ここならではの芸術品の一部に思えました。強風に煽られ、それでも散策をやめない観光客の多さが、それを示す何よりの証拠でしょう。
↑【左】22:14。 【右】22:32。潮はだいぶ引いてきました。↑
寒さが限界に達したため、22:40、ノトーリアス・プーラール系列のホテルに戻りました。
Les Terrasses Poulard(レ・テラス・プーラール)の部屋は、こじんまりとしていましたが清潔で、内装もおしゃれなプチホテル風でした。缶詰を温めるのに使ったバスタブもいい感じでした。
モン・サン・ミシェルの島内、8月で1泊1室、101.4ユーロ(15,210円)なら、コストパフォーマンスはまずまずかもしれません。
「ノトーリアス・プーラールとか言ってしまったけど、缶切りの件以外は、なかなかいいホテルだね♪」
この旅行で最高値のホテルでの夜が更けていきました。
↑21:40。見事というほかない、ライトアップ。
島内ホテル
・ Les Terrasses Poulard (■■と●●が宿泊したホテル)
・ Chez Mado (缶詰を開けてくれたレストランのあるホテル)
対岸ホテル
・ Saint Aubert (歩き方にも紹介されているホテル)
・ Hotel Vert (宿泊候補だったホテル)
・ Relay du Roy (Hotel Vertと同系列)
・ Relais Saint Michel (窓からモン・サン・ミシェルが見えるホテル)
※ MSMのホテルに関しては、当サイトのこの記事もご参照下さい。
コメント (4)
モンサン やはり良いですよね。私はこの地で泊まった事はないのですが夜景がすばらしい。良い写真ですね。確かに現代はブログにこうして留めておくことができ幸せな時代になりました。
このホテル旅行業界でもよく使うホテルでお二人のレポートなかなか面白く拝読させていただきました。毎回楽しみに拝見させていただいてます。
投稿者: 旅のスタイリスト | 日時: 2007年06月27日 00:44
日時: 2007年06月27日 00:44
>旅のスタイリストさん
いつもご愛読いただき、ありがとうございます!パックツアーのパンフレットでよく大写しになっているモン・サン・ミシェル。長年憧れていた場所に到達でき、とても幸福でした。
日本にいたら、プライドが邪魔をしてしまい、ここまでして缶詰を開けようとは思わないでしょう(笑)。海外旅行における未知との遭遇は、行ったことのない場所を訪れるということだけでなく、自己の中の未知(今回の場合、自分の妙な行動力)との出会いという意味もあるのだと実感しました。
投稿者: 管理人N | 日時: 2007年06月29日 13:12
日時: 2007年06月29日 13:12
こんばんは〜。
ラタトゥイユの缶詰の缶詰のエピソードには大笑いしました。
わが家ではしばらく缶詰を開ける度に、いつもこころにヨーロッパさんのことを思い出すことでしょう(笑)
しかし旅先のこういう親切はいつまでも心に残るんですよねー。
夜のモン・サン・ミシェル、荘厳ですね。
本当に見事な写真です。
投稿者: びびんば | 日時: 2007年07月03日 20:10
日時: 2007年07月03日 20:10
>びびんばさん
モン・サン・ミシェルは、フランスの最も偉大な芸術作品と言っても過言ではないと思います。美しすぎて現実離れしているところがまた、なぜか旅情を誘い、気分を高揚させてくれました。
缶詰の件は、ゼルダの伝説で秘密の入口が見つかった時のメロディなるくらいの達成感がありました(笑)。
投稿者: 管理人N | 日時: 2007年07月05日 21:03
日時: 2007年07月05日 21:03