リヨン LYON
8月24日(木)、曇り。
昨晩早く寝たので、今日は6:00に元気よく起床し、荷物をまとめてホテルをチェックアウト。
↑リヨン・ペラシュ駅を7:45出発。
今日はリヨンを発ち、ter(ローカル電車)を乗り継いでフランス中部の都市、ル・ピュイ、クレルモン・フェラン、そしてブールジュを訪れる予定。
最初の目的地であるル・ピュイ(オーヴェルニュ地方)はリヨン(ローヌ・アルプ地方)の南西、およそ130km離れたところにあり、リヨン・ペラシュ駅始発のローカル線で、乗り換えなしで行くことができます。
リヨン・ペラシュ駅でル・ピュイ行きのローカル線に乗り込むと、その電車の各車両の窓に、『LE PUY』と書かれた紙を貼る作業をしている中年男性がいました。毎日この作業をやっているのでしょうか?
リヨン・ペラシュ駅 7:45発 → ル・ピュイ駅 10:13着
ル・ピュイ・アン・ヴレイ Le Puy-en-Velay
人口約20,000人。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の出発点。
突然ですが皆さんは、TBSで毎週放送されている世界遺産で、どの回が最も印象に残っていますか?
■■の記憶に最も深く刻みこまれている世界遺産は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路(2002年1月放送)です。4ルートある巡礼路(トゥール・ルート、リモージュ・ルート、ル・ピュイ・ルート、トゥールーズ・ルート)のうち、ル・ピュイから始まるル・ピュイ・ルートを、TBSの世界遺産にしてはめずらしく、2週かけて前編と後編でたっぷり紹介してくれました。聖地巡礼という所業の高尚でアルカイックな趣き、そして奇岩のてっぺんにそびえるル・ピュイのマリア像(聖母子像)とデギィユ礼拝堂の映像に惹かれ、いつか訪れたいと思っていました。
↑右側の車窓から見えた、ノートルダム大聖堂とマリア像。
山と小川の景色がさんざん続いたあと、10:10、がらがらでほぼ貸しきり状態だった車両の右側の車窓から、岩山の上のマリア像とノートルダム大聖堂が見えてきました。
「あぁ、まさにテレビで見て驚嘆したル・ピュイそのものだ!」
「今までのどの町にもない重厚感があるね。」
↑【左】ル・ピュイの上り坂を進みました。 【右】門の向こうには、マリア像が。↑
10:13、ほぼ時刻表どおりル・ピュイ駅到着。曇りがかったル・ピュイの街の空気には、いい意味で軽さがなく、■■と●●を凛とした気持ちにさせてくれました。リュックを背負った2人は、さっそくマリア像のあるコルネイユ岩山(Rocher corneille)に向かって、入り組んだ小道を歩き始めました。
↑ノートルダム大聖堂の黒いマリア像。聖母のお腹の位置に、イエスの顔がありました。
途中、道を尋ねながら坂を上り、20分ほどでコルネイユ岩山の至近(南側)に位置するノートルダム大聖堂に到着。1998年に、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の一部としてユネスコの世界遺産に登録されたこの大聖堂には、多くの巡礼者を惹きつけてきた黒いマリア像がありました。決して大きくはない像ですが、不思議な魅力を感じました。
↑【左】ノートルダム大聖堂。 【右】マリア像に行くには入場料が必要。↑
ノートルダム大聖堂を出たあと北に向かって坂を上ると、すぐにコルネイユ岩山のマリア像の入口がありました。入場料1人3ユーロ。ここから階段をひたすら上っていくと、6分ほどで岩山の頂上、マリア像までたどり着きました。マリア像は高さ16mで、その内部に入ることができました。
そしてここ、コルネイユ岩山の頂上からは、ルピュイの町を広く見渡すことができました。北側には、頂上にデギィユ礼拝堂が建っているサン・ミシェル岩山(Rocher Saint Michel)。南側には、ノートルダム大聖堂をはじめ、今まで上ってきたル・ピュイの町並み。
↑【左】階段をのぼること、およそ6分。 【右】マリア像の足元に到着。高さ16m。↑
↑北側。サンミシェル岩山の頂上には、崇高なるデギィユ礼拝堂。
↑南側。先ほど内部を見たノートルダム大聖堂が眼下に。
「ここに到達すると、マリア様の像はデギィユ礼拝堂よりもはるかに高い位置にあることが分かるね。」
「うん。宗教的価値観のない私たちだからこそ、この丘の街へ憧れる気持ちは、生涯消えることがないかもしれないね。」
その後丘を下り(ちなみに『ル・ピュイ』とは丘という意味だそうです)、ル・ピュイの大通り付近のお店を巡りました。ショコラを中心に売っているパティスリーでチョコパン(0.8ユーロ)、パン屋でクロワッサン(2個で1ユーロ)などを購入。リヨンよりも総じて物価が安く、チョコパンは特においしかったです。
↑【左】おいしいチョコパンを売っていたパティスリー。 【右】意外に都会なル・ピュイ。↑
↑【左】織物を早業で仕上げる女性。 【右】VELAYの『E』が傾いていた駅。↑
ル・ピュイ駅に戻りました。クレルモン・フェラン行きの電車は、一昨日のアヌシーからリヨン行きのときと同じく、バスになっていました。発着案内にCARと表示されていたので、一昨日よりは分かりやすかったです。
フランスレイルパスを見せて乗ろうとすると、運転手が■■たちにフランス語で説明を始めました。特に注意を受けているわけではなさそうでしたが、何のことか分からずに聞いていると、帽子をかぶった男の子が運転手のフランス語を英訳してくれました。しかし、それでもよく意味が分かりませんでした。●●が帽子の男の子に再度聞いて、このバスに乗ればクレルモン・フェランに行けることは間違いなく確認できたので、乗車。
11:46、バスは出発。電車の車窓からの眺めもよかったですが、バスから眺めたル・ピュイの遠景もまた格別でした。
↑【左】通訳をしてくれた帽子の男の子。 【右】広い大地で暮らす牛は、きっと幸せ。↑
↑【左】この田舎町で、バスから電車に乗り換え。 【右】低床式の電車。↑
13:15、バスは田舎町の鉄道駅に到着。クレルモン・フェランに行くには、ここでバスから電車に乗り換える必要があるとのこと。さっき運転手が説明していたのはこのことだったのでしょう。乗客が乗り換えると、低床式の新型電車は慌てて急ぐように出発。
憧れのル・ピュイ・アン・ヴレイのあとは、パスカル生誕の地、クレルモン・フェランへ。ランキングに協力してくださる場合、こちらの文章をクリックしてください。