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2006年08月10日

10) アルベロベッロ → マルティーナ・フランカ → マテーラ → 夜行バス泊

 TBS系列『世界遺産』。2007年10月14日(日)
 アルベロベッロのトゥルッリ(イタリア)放送。

アルベロベッロ ALBEROBELLO

 ホテル・Trulli Holidayで迎えた朝。当たり前ですが、プルマンで寝るのとは疲れのとれ具合が違います。天候はうす曇りですが、昨日よりは幾分陽の光が多いようでした。
 アルベロベッロの朝は早く、スーパーマーケットは7:45からオープン。町のバールやカフェも、8:00には開いているお店が多かったです。

 ホテル・Trulli Holidayは、1部屋1部屋がいろいろな場所にあるタイプのトゥルッリ・ホテル。では、朝食はどこで食べるのでしょう?実は、前日にフロントで食券を渡されており、それを持参してポポロ広場にあるバールで朝食をとるシステムなのです。
 8:30から朝食時間開始と説明されていたので、8:35にそのバール(MISERIA E NOBILTAという名前)に行ったところ、「チンクエ・ミヌート(あと5分待ってくれ)。」と言われました。

トゥルッリTrulli
↑【左】ホテルのそば。  【右】領土博物館。↑

アルベロベッロ領土博物館
↑領土博物館付近を、朝食前に散策。

 そのため、そばにある領土博物館(Museo del Territorio)を見たりして時間を調節し、10分後にバール・MISERIA E NOBILTAを再訪。朝食のビュッフェは、奥のフロアーで。

「うぁー!アルベロベッロに全く似つかわしくない、超スタイリッシュなバールだね!」

 マドンナなどの音楽が大画面(プロジェクター)の映像つきで流れているところばかりに気をとられがちですが、食器棚やテーブルは直線的でダークブラウンを基調としたものが多く、J-モダンの要素も見られる内装。トゥルッリをイメージした壁面の曲線と合わさって、唯一無二の空間となっていました。

BAR MISERIA E NOBILTA
【右】朝食を取ったスタイリッシュなバール・MISERIA E NOBILTA。↑


↑【左】風味絶佳なカフェ・ラテ。  【右】壁に飾ってある絵もオシャレ。↑

 フロアーのつくりだけでなく、壁に飾ってある絵もオシャレ、カフェ・ラテもオシャレ、おまけにウェイターのメガネもオシャレ♪

Aia Piccola 地区
↑アイア・ピッコラ地区。お爺さんとその孫がチェスをしていました。


↑【左】窓の中にはマリア様。  【右】アルベロベッランド・マップ。↑

 朝食後、アイア・ピッコラ地区カーサ・ダモーレを観光。かわいらしいトゥルッリは、封建領主の支配に対抗した民衆の知恵の産物。

 また、木曜日は朝市の日なのでしょうか。朝からエマヌエーレ大通りに衣服(下着)などの露店が出店していました。

 それから、ホテルの近くのサンティ・メディチ・コズマ・エ・ダミアーノの聖書記念堂トゥルッロ・ソヴラーノを見ました。
 トゥルッロ・ソヴラーノは『17世紀に貴族が建てた、唯一の2階建てトゥルッロ』と説明されていますが、昨日のお土産屋も2階建てだったような……。

Trullo Sovranoトゥルッロ・ソヴラーノ
↑2階建ての、トゥルッロ・ソヴラーノ。

「昨日のお土産屋の2階は少し狭かったので、2階ではなくロフトと認識されるのかな?」「でも、昨日のお土産屋の入口には、『めずらしい2階建てのトゥルッリです』と日本語で書いてあったよ。」

 小さな疑問を抱えたまま、ホテルに戻って、少し早めの昼食を自炊。


↑【左】そろそろトゥルッリともお別れ。  【右】ランチはトンノ・ロッソ。↑


↑【左】トゥルッリ・ホテルのテラスでランチ♪  【右】フロントで貰ったお土産写真。↑

 そして、チェックアウトしに行くと、フロントで『昔のアルベロベッロの写真』を貰いました。トゥルッリのキーホルダーがついた鍵を返却して、鉄道駅に向かいました。
 アルベロベッロ駅は無人駅ではないのですが、なぜか窓口では切符を購入できず「近くのバールで購入しなさい。」といわれてしまいました。説明された場所のバールで購入できましたが、なぜ駅の窓口で販売していないのかは謎。

アルベロベッロのスーパーSUD=EST
↑【左】スーパーマーケット。  【右】私鉄・Ferrovie Sud-Est線。↑

 13:28にアルベロベッロ鉄道駅を出発して、私鉄・Ferrovie Sud-Est線に乗ること2駅。13:45、マルティーナ・フランカという駅で下車しました。

マルティーナ・フランカ Martina Franca

アラブ人に侵略されたターラントから逃れてきた人によって10世紀につくられた町。アンジュー家のフィリッポ候から税金免除を受け、14世紀以降繁栄した。

 マルティーナ・フランカ鉄道駅を出ると、すぐそこに路線バスが停車していました。■■が「パラッツォ・ドゥッカーレ?(ドゥッカーレ宮殿に行きますか)」と運転手に尋ねると、「Si.」と答えたので乗車しました。
 アルベロベッロと違い、マルティーナ・フランカは鉄道駅から中心地まで距離がある(しかもやや上り坂)ので、バスに乗れてラッキー♪
 運転手は、ドゥッカーレ宮殿そばのバス停で下ろしてくれました。


↑【左】バスの車窓から。  【右】マルティーナ・フランカ旧市街。↑

 バロック様式のファザードを持つドゥッカーレ宮殿、そしてサンマルティーノ教会を見たあと、やや駆け足でサン・ドメニコ教会へ。


↑【左】ローマ広場の門。  【右】サンマルティーノ教会。↑


↑サン・ドメニコ教会。ロココ様式のファザード。

 バロックとロココがタッグを組んでダンスを踊っているようなサン・ドメニコ教会。マルティーナ・フランカの旧市街は道が細く、ぴかぴかではないけれど、さりげなく異彩を放つ小綺麗な町並み。観光客は意外に多くいました。
 再びドゥッカーレ宮殿のそばへ行くと、ウェディングドレスの新婦と、それを追いかける新郎の姿がありました。ローマのメトロで見かけた新婚夫婦とは違い、まさに「この世のハルがきた」っていう表情。


↑【左】ドゥッカーレ宮殿。  【右】イタリア夫婦の離婚率は、日本のおよそ1/3。↑

 しかし、14:20をまわった頃、ここで昨日と同様に小雨が降ってきました。
 鉄道駅に戻ろうと、行きに下りたバス停まで行って路線バスを待つと、14:45にバスが到着。運転手から切符を買おうとしたら、運転手に「そこのバールで買ってこい。」と言われました。
 しかたなく、●●は先にバスに乗って荷物を見張り、■■がバスを降りてバールまで行くことに。■■が「バスの切符を2枚ください。」とバールの店員に言うと、若い女店員は『この日本人は何を言っているんだ、そんなもの売っているわけないでしょ』と言わんばかりの表情で「No.」と答えました。
 焦る■■。すると、バールで立ちながらエスプレッソを飲んでいた若い男性客が『どうしたんだい?』という表情で■■に話しかけてきたので、■■はこの男性客に頼るしかないと思い、ジェスチャーでその男性にバスのところまでいっしょについてきてもらい、通訳(?)をしてもらうことにしました。すると、バスの運転手が話した内容を聞いて、その男性客は■■がバスの切符を買いたいことを理解してくれ、■■と男性客はまたバールに戻り、男性客はその旨をバールの店長(中年男性)にイタリア語で話してくれました。
 そのバールの店長は、はじめ「No.」と答えたものの、5秒すると突然思い出したように「…Si!Si!」と言いだし、奥のほうからバスの切符を持ってきました。面倒くさいから最初に「No.」と言ったのではなく、本当に切符を売っていることを忘れていたであろうリアクションでした。このバールでバスの切符を買う人はよほど少ないのでしょうか。
 1枚0.7ユーロ(105円)の切符を2枚購入。■■は男性客にお礼を言って、バスにダッシュで戻りました。

 14:50にマルティーナ・フランカ鉄道駅に到着しましたが、あいにくバーリ行きの電車は出発したばかりで、次の電車はマルティーナ・フランカ16:42発までありません。しかも、駅の周りには本当に何もありません。いや、スーパーマーケットが1件ありましたが、現在休業中。

マルティーナ・フランカ鉄道駅
↑【左】小さなマルティーナ・フランカ駅舎。  【右】駅のホーム。↑

 時間がたっぷりあったので、この駅の駅員に、『マルティーナ・フランカ → バーリ』のダイヤと、『バーリ → マテーラ』のダイヤを尋ねました。
 前者の時間はこの鉄道会社(私鉄・Ferrovie Sud-Est線)の路線なので問題なく教えてもらえましたが、後者のダイヤは別の私鉄・Ferrovie Appulo Lucane線なので分からないと言われました。
 しかし、粘り強く尋ねたところ、駅員はFerrovie Appulo Lucane線のバーリ駅窓口の電話番号を教えてくれ、■■が「ここに電話すれば英語でも通じるの?」と、通じないことが分かっていて確信犯的にそう聞いたら、期待どおり駅員が電話をかけてくれ、Ferrovie Appulo Lucane線の電車の時刻を聞いてくれました。
 バーリでの乗り換え時間は50分あり、特に急がなくていいことが判明したのでひと安心。

『マルティーナ・フランカ16:42発 → バーリ18:24着 (Ferrovie Sud-Est線)』

バーリ BARI

Bari駅 この電車も定刻どおりの運行で、18:24に終点のバーリ・チェントラーレ駅着。
 到着したバーリはかなりの雨でした。ここで、Ferrovie Appulo Lucane線 (アップロ・ルカーネ線)に乗り換え。
 Ferrovie Sud-Est線のホームがあるバーリ・チェントラーレ駅の北口を出て左方向(西)にある黄色い建物が、Ferrovie Appulo Lucane線のバーリ・チェントラーレ駅。

『バーリ19:15発 → マテーラ20:47着 (Ferrovie Appulo Lucane線)』


↑【左】バーリ駅前の噴水。  【右】Appulo Lucane線のバーリ駅。↑


↑私鉄・Ferrovie Appulo Lucane線のバーリ駅ホーム。

 バーリ・チェントラーレ駅からマテーラ・チェントラーレ駅までの切符は、1枚4ユーロ(600円)。この電車は、この旅の中でもワースト1と言えるくらい本当にどうしようもなく汚い電車でした。ただ、先頭車両に近いほうが比較的(あくまでも『比較的』ですが)きれいだったので、そちらに乗りました。
 普段は忘れがちですが、海外を旅行すると、日本の公衆便所および公共交通機関の清潔さは、本当に素晴らしい!…ということを痛感します。

 バーリを19:15に出発すると雨はあがり、シチリア島に続いて虹が見られました。そして、美しい夕暮れ。20:13、アルタムーラ駅(Altamura)で電車の乗り換えがあり、あわててマテーラ行きの車両に乗り換えました。次第にあたりは闇に包まれていきます。

アップロ・ルカーネの虹アップロ・ルカーネの夕日
↑【左】虹はイタリア語で『Arcobaleno』。  【右】夕日は『Sole che Mette』。↑

 電車は、マテーラと名のつく駅のうち、まず初めにマテーラVL駅(Matera Villa Longo)に停まりました(ここで間違って降りてはいけません)。そしてその次に、マテーラ・チェントラーレ駅(Matera Centrale)に停車したので、ここで下車。予定より5分ほど遅れ、20:52着でした。

マテーラ MATERA

 私鉄・Ferrovie Appulo Lucane線のマテーラ・チェントラーレ駅のホームは、地下にありました。階段を上がって地上に出ると、駅の敷地内に、トランポリンなどの遊戯施設があるのが目に入りました。大人子供がぽんぽん跳躍するのを横目に見ながら、まずサッシ地区を目指す■■と●●。

MATERA駅
↑マテーラ・チェントラーレ駅に併設された遊戯施設。

 ローマ通り(Via Roma)を下っていくと、5分しないうちに綺麗な噴水のあるヴィットリオ・ヴェネト広場に着きました。この広場には、おそらくマテーラの住人と思われる大人と子供が大勢いました。この金色の広場で、子供ははしゃぎ、大人は憩い、思い思いの時間を過ごしている様子。子供と青年男性がいい意味で本気でじゃれあっている姿が逞しくもあり、微笑ましかったです。


↑ヴィットリオ・ヴェネト広場。


↑『キリストはエボリに止まらず』。夏を謳歌するマテーラ市民。

 ある意味アルベロベッロ以上の負の歴史を持つマテーラ。■■と●●はたかだか数時間滞在しただけですが、この広場では、カルロ・レーヴィが著書『キリストはエボリに止りぬ』(エボリより東南側のイタリアはキリストに見捨てられた土地で、人間らしい生活が営まれていない場所だったという意味)で書いたような悲惨な南イタリアの姿は見られませんでした。

 さて、マテーラといえば、いちばんの見どころは『サッシ (Sassi)』と呼ばれる洞窟住居群。世界遺産に登録されているサッシ地区を、一望できる場所はどこかと探したら、意外にもすぐに見つかりました。この市民の憩いの場・ヴィットリオ・ヴェネト広場東側にあるアーチをくぐると、すぐにサッシ地区を一望できる展望台がありました。


↑ヴィットリオ・ヴェネト広場東側の展望台から眺めたサッシ地区。

サッシ地区ベルベデーレ
↑【左】1993年、世界遺産登録。  【右】雲が少し晴れて、月が出てきました。↑

 ここまでのこぎれいな町並みとは一線を画する、パノラマ。ドゥオーモの塔を中心として、金色に照らし出された洞窟住居群が広がっていました。

 その後、サッシ地区を散策。レストランとして利用されているサッシもある一方で、粗大ゴミが詰め込まれているサッシもありました。
 コウモリ(?)の鳴き声。細い道。鋭い目つきの老人。変な叫び声。こういったものが続くと、次第に民家から聞こえるテレビの音さえ不気味に感じられてきました。


↑【左】夜のサッシ地区。  【右】小さな子連れの観光客。↑


↑20世紀まで、電灯のない暮らしを強いられていたマテーラ・サッシ地区。

 しかし、サッシ地区の夜道には、まばらですが他の観光客も歩いていたので、なるべく単独にならないよう歩いてみました。

 その後、ヴィットリオ・ヴェネト広場に戻り、この広場の地下に公開されているビサンチン時代のマテーラ遺跡を見終わると、22:05。


↑ビサンチン時代のマテーラ遺跡。無料で公開されていました。↑

 今夜は夜行のプルマン(長距離バス)に乗るため、マテーラ・チェントラーレ鉄道駅前のマッテオッティ広場(Piazza Matteotti)へ。プルマンの切符を買おうと思い、鉄道駅窓口の女性に聞いたら、プルマンのチケット売り場は閉まっているから、プルマンの中でチケットを買いなさいとのこと。
MARINO社 マッテオッティ広場には、フィレンツェ行きのプルマンなども続々と到着していましたが、本日■■と●●が乗るのはアッシジ行きのプルマン。なかなか到着していないのでヤキモキしていると、22:30にアッシジ行きのプルマン(MARINO社)が広場に到着。 アッシジ行きのプルマンは、1週間に2本(木曜日と日曜日)しか運行していない、マニアックな路線。しかし、MARINO社のプルマンは、INTERBUS社よりも豪華でした。
 しかも、乗車している人は、■■たちを入れて8人くらい。22:45に出発したので気持ちよく眠っていると、24:50に突然車庫のようなところで停車し、エンジンがストップ。爆睡中の■■と●●は、いきなり起こされてしまいました。「どうして?!」

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