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2006年08月19日

19a) マルセイユ → アルル

 8月19日(土)。旅行19日目。天候は曇り。
 6:30に起床し、キッチンで軽い朝食をつくって食べました。食後、ホテルのロビーに行ってメールをチェックすると、■■と●●の兄弟各々から、メールの返事が届いていました。

 8:05、マルセイユ観光に出発。

ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂
↑マルセイユのシンボル、丘の上のノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂。

案内板ノートルダム聖堂
↑【左】案内板に頼って聖堂へ向かいました。  【右】美しい聖堂。↑

「昨日はホテルが快適だったので、マルセイユ観光ができなかったね♪」

 まずは、マルセイユで最も高い海抜162mの石灰質の丘上にある、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂へ向かいました。60番のバスでも行くことができるようでしたが、歩いていくことに。ホテルから徒歩で、坂と階段を登ること50分。


↑【左】坂を上るにつれて、風がでてきました。  【右】輝く黄金のマリア象。↑

 8:55、黄金の聖母マリア像(高さ9.7m)がてっぺんに鎮座して、マルセイユの街を見守っているノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂に到着。すでに、中国人のツアー客などが観光をしていました。


↑西方面。イフ島(中央の小さな島)と、フリウール島(その後方の、左右に長い島)。


↑【左】南方面。ユニテ・ダビタシオンなど。  【右】北方面。旧港など。↑

 イフ島、フリウール島、ビュー・ポール(旧港)、サント・マリー・マジョール大聖堂、サン・シャルル駅、スタッド・ベロドローム(サッカースタジアム)、ユニテ・ダビタシオンなど、美しいマルセイユの全景を360度見渡すことができました。今までにもいろいろ展望台な展望台を訪れましたが、全方角の眺望を楽しめる展望台は初めて。残念ながら、雲に隠れて日陰になった場所が多かったですが…。


↑【左】ロマネスク・ビサンチン様式の聖堂内部。  【右】帰りは別の道で。↑


↑9:48。天候は昇り調子。

 帰り道は下り坂なので早く、ホテルまで徒歩30分で到着。チェックアウトが11:00なので、早めのランチをつくり、部屋で食べました。


↑【左】トマトソース+ジェノヴェーゼソースのパスタ。  【右】フロントのお兄さん。↑

 11:00にチェックアウトし、Citadines Apart'hotelのフロントで荷物を預かってもらい、マルセイユのユニテ・ダビタシオンへ向かいました。
 ■■がル・コルビュジェに興味を持ち始めたのは、恥ずかしながらテレビ東京の『美の巨人たち』という番組がきっかけ。一時期は、もし■■たちが犬を飼ったら、安藤忠雄氏の真似をしてル・コルビュジェという名前にしようかと思うほど関心を持っていました。
 凱旋門そばの、JULES GUESDE駅(メトロ)からメトロに乗って、南南東方向へ6駅。ROND-POINT DU PRADO駅で下車。マルセイユのメトロは、1回1.7ユーロ(255円、60分間有効)と、少し高め。駅と駅の間隔が短いので、6駅で10分かかりませんでした。
 ここからさらに南に向かって歩くと、まず左手にスタッド・ベロドロームがありました。

 スタッド・ベロドロームは、オリンピック・マルセイユというサッカーチームのホームスタジアム。この近辺に限らず、マルセイユでは、オリンピック・マルセイユのユニフォームを街着にしている地元の人を、多く見かけました。街中でユニフォームを着ている人の割合は、今回訪れた都市の中でもいちばん多かったように思います。これは、チームを愛する精神が高いということもあるのでしょうが、いちばんの理由は、単純にユニフォームのデザインがかっこいいからでしょう。


↑【左】マルセイユのメトロ。  【右】ユニテ・ダビタシオン1階。↑


↑【左】4階(欧州で言うところの3°Floor)が、レストランとホテル。  【右】独創的外観。↑

 さらに南に向かって歩くと右側に、木々に囲まれた垂直都市・ユニテ・ダビタシオンがありました。築50年以上経過しているので、外観はさすがに老朽化が目立ちましたが、不気味とも思えるほどの迫力がありました。


↑ル・コルビュジェの垂直都市・17階建てのユニテ・ダビタシオン。


↑【左】ユニテ・ダビタシオン内部。  【右】ル・コルビュジェがこだわった柱。↑

 『1945年、戦後の深刻な住宅難を解消するため、フランス政府は国家の出資による集合住宅の建設を決めた。(中略)ル・コルビュジェは、25年もの間あたためてきた住居に対する考えを、この仕事でいよいよ実現させることができると考えた。つまり彼はこの作品で、住居というもののあり方建築技術理想的な社会環境革新的な都市計画の4点を現実の形にしようと考えていたのである。』(創元社『ル・コルビュジェ - 終わりなき挑戦の日々』より抜粋)


↑創元社 『ル・コルビュジェ - 終わりなき挑戦の日々』。

 ラ・マシン・ア・アビテ(住むための機械)。エスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)。モデュロール(人体の寸法と黄金比から考案した建造物の基準寸法)。革新的なキーワードをもとに、20世紀の建築に大きな足跡を残したル・コルビュジェ。その足跡の1つを間近で見ることができ、興奮しました。


↑新潮社 『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 安藤忠雄著。

「満室でなければここに宿泊して、ル・コルビュジェを、GRAND COMFORTを感じてみたかったね~。」
「でも、Citadines Apart'hotelも、それ以上にリーズナブルで良かったよ♪」
「確かに。またマルセイユを訪れたときは、どちらに泊まろうか迷うね~。」

 ユニテ・ダビタシオンを観光後、メトロに乗ってCitadines Apart'hotelに戻り、12:42、預けておいた荷物を受け取って、マルセイユ・サン・シャルル鉄道駅へ。


↑【左】プジョーはフランスのトヨタ。  【右】マルセイユの凱旋門。↑

 凱旋門の東側から、Rue Bernard du Boisという通りを登っていくと、12:50にマルセイユ・サン・シャルル鉄道駅到着。今日は、ここからリヨン行きの電車に乗って、アルルで下車し観光&宿泊の予定。リヨン行きの電車は、L番ホーム、12:59発のはずが、出発が遅れて13:12発(13分遅れ)。しかし、このあと6分挽回し、アルル到着は13:47の予定が、13:55到着(7分遅れ)でした。

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